羽曳野市は2019年1月15日に町から市に市制施行して60周年を迎えます。それを記念して公募されたデザインの中から60周年ロゴが決定しました。
羽曳野市役所ホームページより引用
特産物である「ぶどう」と60周年の「60」の文字。 「60」の「0」の部分に古墳を表し、また人の姿にも見えるように表現。 ぶどうの一粒ずつが、羽曳野市民を意味し、自然、歴史、人とのつながりで羽曳野市を表現しています。 マークが右上方向に向かって行く様に見せることで、未来に向け躍動する元気な街であることを伝えます。
ブドウは羽曳野市のゆるキャラになるほどの特産品であり、古墳は応神天皇陵をはじめ羽曳野市には数多く存在します。
「0」の部分が古墳と人を表わしているというのは羽曳野市の特色を上手く取り入れたロゴではないでしょうか。
町から市へ
羽曳野市になる前の町名をご存知でしょうか?実は「南大阪町」という名前だったんです。南大阪町は1956年9月30日、古市町・高鷲町・埴生村・西浦村・駒ヶ谷村・丹比村が合併して発足しました。
1959年1月15日に南大阪町が市制施行で南大阪市となり、南大阪市が即日改称して羽曳野市となりました。
藤井寺市も市制施行で美陵町から藤井寺市と全く違う名前になっていますが、羽曳野市も全く違う名前になったんですね。
個人的に南大阪町という名前は、南大阪の範囲が広すぎてイメージしづらいので、今の羽曳野市という名前の方がしっくりきます。
羽曳野市の名前の由来
羽曳野市という名前の由来はどこからきたのか?それは羽曳野市に古墳がある日本武尊(ヤマトタケル)と深い関係があります。
日本武尊が東国の遠征からの帰途、伊勢で亡くなります。その後、日本武尊は白鳥の姿に変え、今の奈良県御所市付近に降り、再び飛び立ち羽曳野市の古市に舞い降りたと言われています。
そして更に白鳥は舞い上がり「埴生の丘を羽が曳く如く飛び立った」という言い伝えから「羽曳野」という地名ができたと言われています。
白鳥陵古墳
白鳥の尾が丘を曳きながら飛んで行くという姿は想像するとロマンティックですね。
それとは全く関係ないのですが、電話で「羽曳野」の漢字を説明するのって難しくありませんか?「ハネの羽にひくは地車を曳くの曳くで引っ張るの引くじゃない方で・・・」みたいに・・・みなさんどうやって説明してるんでしょうね?
まとめ
現在、羽曳野市、藤井寺市、堺市は、「百舌鳥・古市古墳群」を2019年にユネスコ世界文化遺産に登録する事目指しています。
市制施行60周年の節目にユネスコ世界文化遺産登録となれば、羽曳野市もさらに盛り上がると思います。今後の羽曳野市の取り組みを楽しみですね。