布忍駅で入駅記念切符というものが発売されていると聞いて買いに行ったものの、気づくのが遅く売り切れていた残念な思いをした今日このごろです。
しかし、布忍駅を調べていると中々興味深いことがわかりました。短い期間ですが布忍駅が近鉄南大阪線で終着駅だった時期があったのです。
今回は布忍駅の歴史とその周辺のご紹介をしたいと思います。
近鉄南大阪線 布忍駅とは
1919年に柏原〜河内長野間(現在の近鉄道明寺線・長野線)を運行していた大阪鉄道が大阪市内への乗り入れを目指し、現在の南大阪線開通を計画します。
その後、道明寺駅からの大阪市内方面に延伸が進み、1922年に道明寺〜布忍駅を終点とする現在の南大阪線が開業。
1923年には大阪天王寺駅(現在の大阪阿部野橋駅)〜布忍駅も開通し阿倍野橋駅が終点となります。南大阪線が全線開通するまでの短い時間ですが布忍駅が終点だったとは驚きです。
それにしても布忍駅の開業が1922年ということはあと4年で100周年を迎えるんですね!
布忍という地名
布忍という名前は古く、日本書紀に日本武尊の娘として「布忍入姫命(ぬのしいりびめのみこ)」という名前が出てきます。
布忍入姫命の兄は仲哀天皇で古墳は藤井寺市にあります。日本武尊、仲哀天皇とも南河内にゆかりの深い人物であることから、布忍入姫命も布忍の地名とも何らかの関係があるのではないかと言われています。
また別の説として、最近イチハラヒロコ恋みくじで話題になった布忍神社の社伝では、布忍神社の北にある阿麻美許曽神社から素戔鳴命を布忍神社に迎える際、白い布を敷いて迎え入れたことから布忍という名前がついたとも言い伝えもあります。
何れにせよ「布忍」という名前は古墳時代から出てくるほど古い由来がある名前なんですね。
昔からの交通の要衝であった布忍
布忍の場所は昔から交通の要衝として重要な場所でした。現在の布忍駅の南側には長尾街道と呼ばれる和泉国から大和国へ通じる東西の重要な街道が通り、西側には大阪から高野山へ向かう下高野街道があります。布忍は2つの街道が交差する場所として栄えたと言われております。
平安時代には交通の要衝であった布忍駅付近に駅家と呼ばれる施設がありました。駅家とは公用の使者が利用する馬やそれを飼育する施設で、鉄道の駅の由来とも言える施設です。歴史的に見ても布忍には駅が作られる重要な地点であったと納得できますね。
中世に入り長尾街道は道明寺や葛井寺へ参拝する人々で賑わったそうです。布忍駅付近には惣井戸と呼ばれる井戸跡が残っており、街道を通る人々の喉を癒やしたのではないでしょうか?
まとめ
近鉄南大阪線の阿倍野橋駅ができるまで布忍駅が終点だったというのは意外だったんですが、実は1000年以上前から布忍には駅があって人々が多く行きかう場所だったんですね。
近鉄南大阪線 布忍駅データ
住 所:大阪府松原市北新町1丁目2
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