大阪狭山市にある三都神社では風変わりな参拝方法があるそうです。どうも主祭神の拝殿ではなく、摂社である戎様の本殿でそれは行えるとか。どう変わっているのか気になりましたので、大阪狭山市にある三都神社に行ってきました。
三都神社沿革
主祭神として伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)・素盞鳴尊(スサノオ)を祭っています。スサノオはイザナギとイザナミの子供なので、家族仲良く祭られているという事なんでしょうか。
名前の由来は河内、摂津、和泉の真ん中にあるから三都神社とも言われいます。かつて天野街道を通って紀州熊野に向かう人々が参詣したことから、熊野神社とも呼ばれていました。
詳しい創建時期は分かっていませんが、7世紀頃に創建されたと言われています。16世紀に兵火で社殿を焼失しますが、諦観という僧によって金蔵寺内に再興されました。その後、明治時代の神仏分離では神社が残り、金蔵寺のほうがなくなってしまいます。
摂社巡り参拝コース
三都神社に到着。駐車場らしきものはありませんが、階段手前にある1台ぐらい停めれるスペースに「三都神社参拝の方以外は駐車しないでください」との貼り紙が貼ってあったので、参拝者は停めていいのかなと思います。(多分)
駐車スペース脇には文殊地蔵尊のお堂がありますのでお参りを済ませます。
階段を登って行くと、途中に素敵な手水舎があります。身を清めいざ境内へ。
階段を登り切ると三都神社の拝殿が見えてきます。私以外は誰も居らず、静まり返った境内から神聖な感じが伝わってきます。まずは、拝殿でお参り。
お参りを済ませ横を見ると、無数にある摂社の参拝順が書かれた札があります。こ、こんなにも摂社があるんですね。順番に沿ってお参りをしていきます。
祖霊社と毘沙門天堂は他の摂社と比べて少し豪華になっています。こちらの毘沙門天像は1983年の郷土資料館による調査で見つかったもので、鎌倉時代に造られたそうです。毘沙門天堂の隣には小さく吉祥水天宮が。
三都戎様
ようやく目的の戎様へ。順番的には拝殿ではなく本殿に行くようです。本殿の案内書きには「恵比寿大神様はお耳が遠うございます。裏に廻って槌で鳴板をたたいてお詣り下さい」とあります。全然関係ありませんが「戎」なのか「恵比寿」なのか表記がマチマチなんですね…
本殿の裏側に廻ると板と木槌が置いてあり、これで叩くようです。戎様が本当に耳が遠いのかどうかは分かりませんが、どれぐらいの強さで叩けばよいのやら。誰もいない静まり返る境内で、あんまりカンカン叩くのも恐縮なので、かなり控え目に叩いてお参りを…。戎様聞こえましたか…?
本殿の横には岩の上に小さな戎様の石像がちょこんとたたずんでおり、その下には戎様をお祭りする由来などが書かれています。
昭和36年に西宮戎から戎様を勧請し、昭和38年に三都戎の社殿が完成したとのこと。その頃の日本は高度経済成長の真っ只中にありましたので、商売繁盛を願い戎様を勧請したのかもしれませんね。最後に戎様拝殿をお参りして終了です。かなりの数をお参りしまくった気がします…
まとめ
境内はそれほど広くはないのですが、摂社の数は多い方ではないでしょうか。普段は神社にお参りに行っても摂社はスルーしがちになってしまいますが、参拝する順番が書かれていると、その通りにお待ちしなきゃという気持ちにさせるのが、なかなか上手い仕組みになっていると思います。また、参拝の最後にちょっとした、アクションが待っているのも面白いですね。
御朱印
御朱印 | 手書き |
初穂料 | 300円 |
三都神社データ
神社名 | 三都神社 |
住所 | 大阪府狭山市今熊647番地 |
祭神 | 伊邪那岐命・伊邪那美命・素盞鳴尊 |
摂社 | 三都戎神社、春日社、発辰大神、熊野三宝荒神、稲荷大神、毘沙門天堂、吉祥水天宮、祖霊社 |
旧社格 | |
式内社 | なし |
祭礼 | |
参考資料 | 大阪府神社名鑑 |