式内社と言う言葉をご存知でしょうか?式内社とは醍醐天皇の命によってて927年にまとめられた「延喜式神名帳」に記載された2861の神社を指す言葉です。式内社に選ばれると言う事は朝廷に認められた神社であり、少なくとも1000年以上の歴史を持つという事で少し特別な地位にあるとされます。
式内社の中でも官幣社、国幣社などの社格があり、それぞれ大社と小社に分類されます。社格順にすると下記の順番に並びます。
官幣大社→国幣大社→官幣小社→国幣小社
そんな式内社ですが狭山市には式内社、しかも大社でありなが、境内に2社が同居している神社があります。それが、狭山神社と狭山堤神社です。今回はそんな珍しい大阪狭山市にある狭山神社と狭山堤神社を紹介します。
狭山神社の沿革
狭山神社は狭山池からほど近い大阪狭山市半田に存在。狭山という地名は各地にありますが、その中でも大阪の「狭山」という地名は日本で最も古くから使われていそうです。狭山神社の詳しい創建は分かっていませんが、狭山池が造られる前よりこの地にあったと言われています。
731年に行基が狭山池を改修していることから、少なくとも1300年以上の歴史を持つことになります。それ以降の歴史について詳しい事は分かっていませんが南北朝時代に兵火にあい社殿が焼失しています。
かつて狭山神社の裏山には「半田城」、その北側には「池尻城」が存在していました。池尻城は西・中高野街道、天野街道を押さえる重要拠点があり、半田城は池尻城を防衛するための付け城だったと考えられています。池尻城、半田城を巡る南北朝の戦いでは、南朝方で富田林市付近の豪族「佐備正忠」が半田城を攻めた記録があります。狭山神社もこうした半田城を巡る争いに巻き込まれたのかもしれません。
現在の狭山神社と狭山堤神社
狭山神社の参道は途中を府道198号線によって分断されています。開発により参道の面影を失う神社も多く存在しますが、狭山神社も道路開発により参道が分断されています。ただ街中にある神社にしては、比較的参道の面影を残している方かもしれません。
こちらが参道の入口。道路と並行して、一段高く参道が整備されています。参道の先には府道198号線が走っており、道路を挟んで正面が、参道の続きとなっています。ただ普通に参拝に訪れた人は、入り口と思っていたところが参道の途中とは思わないでしょう。
綺麗に清掃されている参道を抜けると、右手に「大阪みどりの百選」の碑が見つかります。かつては半田城があったとされる本殿裏側の鎮守の森が評価されているようです。
左手にある手水舎には、少し威嚇的な龍と、それとは対照的に脇へ可愛い花が添えられていました。
正面が狭山神社拝殿。本殿の背後にある鎮守の森に半田城があったとされています。本殿は住吉大社に代表される住吉造という事ですが、残念ながら見ることはできません。
狭山神社の主祭神は多くの神社でおなじみの素盞嗚命(スサノオ)と日本神話におけるの中心人物の一人、天照皇大神を祭っています。南河内で天照皇大神を祭っている神社はあまり見かけないので、珍しい部類になります。
狭山神社の隣にもう一つの式内大社、狭山堤神社が存在。思ったよりも小さな社ですが、これが狭山堤神社になります。
狭山堤神社は狭山池の守護神である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)を祭っています。五十瓊敷入彦命は垂仁天皇の子供で、日本武尊の叔父にあたる人物です。古事記によれば垂仁天皇の命で五十瓊敷入彦命が狭山池を造ったといわれています。
当初、狭山堤神社は半田村にありましたが、しばらくして狭山池の堤に場所を移ります。江戸時代にはいり狭山池は幕府が管理していましたが、狭山藩の要望で狭山藩が管轄することになります。これをキッカケとして1730年に狭山堤神社は狭山藩下屋敷内に移転します。これには狭山池の支配者が狭山藩であるという事を領民にハッキリと理解させるための政治的な措置とも言われています。
狭山神社には狭山堤神社以外にも埴土社、岐社、戎神社、岳主社、堤神社、足玉社、水本社稲荷神社など多くの摂社を持ち、多くの神が祭られています。
狭山神社はそれなりに広い境内を持ちながら、狭い空間に様々な社がギュッと詰まった不思議な空間でした。平日だったこともあり、人も少なくゆっくりと参拝できました。狭山池の守護神は狭山池から少し離れた所から、狭山池を見守っているようです。
御朱印
御朱印 | 手書き |
初穂料 | 300円 |
基本的には、宮司さんがいらっしゃるようです。
狭山神社・狭山堤神社データ
神社名 | 狭山神社 |
住所 | 大阪府大阪狭山市半田1-223 |
祭神 | 天照皇大神・素盞嗚命 |
摂社 | 埴土社・岐社・戎神社・岳主社・堤神社・足玉社・水本社・稲荷神社 |
旧社格 | 郷社 |
式内社 | 式内大社 |
参考資料 | 案内板、大阪府神社名鑑 |
神社名 | 狭山堤神社 |
住所 | 大阪府大阪狭山市半田1-223 |
祭神 | 五十色入彦尊 |
旧社格 | 村社 |
式内社 | 式内大社 |
参考資料 | 案内板、大阪府神社名鑑 |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
鉄道の最寄り駅は南海高野線「金剛駅」から徒歩5分。
・自動車
狭山神社には駐車場が整備されています。
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