藤井寺市 藤井寺市の古墳

割塚古墳|陪塚のようで陪塚でない古墳~藤井寺市・百舌鳥古市古墳群~

割塚古墳

南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、藤井寺市にある「割塚古墳」です。百舌鳥古市古墳群の一つですが、世界遺産登録リストには含まれていません。

割塚古墳とは

割塚古墳は、4世紀後半に築造された一辺30mの方墳。仲哀天皇陵前方部の濠の南東隅から東へ50mと、非常に近接した場所に存在します。

方墳

この近さから仲哀天皇陵の陪塚と思われてしまいますが、そうではありません。

仲哀天皇陵
仲哀天皇陵

仲哀天皇陵が5世紀末~6世紀初めに造られたのに対して、割塚古墳は4世紀末~5世紀初めに造られたと考えてられています。

4世紀末~5世紀初は津堂城山古墳が造られた時期で、すなわち古市古墳群における初期の古墳になります。割塚古墳と仲哀天皇陵の建造時期に100年近い開きがあることから、陪塚関係にはないと考えられています。
https://travel-minakawa.com/2018/07/16/tsudoushiroyam/

現在の割塚古墳

割塚古墳は月極駐車場内に存在します。宮内庁管理ではないため柵はなく近くで見ることが可能。

割塚古墳

駐車場の隅っこに追いやられ気味で少し不憫な感じですが、住宅地にあるので仕方ありません。木はあまり茂っておらず、小ざっぱりしています。小さな古墳にしては案内板も設置されています。

割塚古墳

方墳と言うことですが、横から見てもよくわかりません。しかし上から見るとなんとなく方墳であるとわかります。出土物としては表面から円筒埴輪が見つかっています。

割塚古墳

仲哀天皇陵の近くには同時期に造られた鉢塚古墳や消滅した落塚古墳があり、この2基は仲哀天皇陵の陪塚であると考えられています。

塚古墳の近くにも、同時期に造られた岡古墳(現在は消滅)という33m四方の小型の方墳が存在しました。しかしこの2基だけ独立した古墳というのも不自然に思われます。もしかすると、割塚古墳や岡古墳もまだ発見されていない前方後円墳の陪塚だったら…なんて想像するとワクワクしますね。

割塚古墳データ

古墳名割塚古墳
住所大阪府藤井寺市藤井寺4丁目(googleMAP上では羽曳野市となっていますが、案内板では藤井寺市藤井寺4丁目とされています)
築造時期4世紀後半
墳形方墳
全長30m
高さ3m
埋葬施設不明
被葬者不明

アクセスと駐車場

公共交通機関
近鉄南大阪線「藤井寺駅」下車。徒歩約15分。

自動車
割塚古墳に駐車場はありません。割塚古墳から西に徒歩5分ほどの場所にコインパーキングがあるので、そこから徒歩がオススメです。

周辺スポット

・仲哀天皇陵/岡ミサンザイ古墳
割塚古墳に隣接する前方後円墳。応神天皇の父である「仲哀天皇」が祭られているとされる古墳です。

・藤の森古墳
割塚古墳から徒歩5分ほどの場所にある古墳。元々は、別の場所で保管されていましたが、現在シュラホール内に移設されています。

・辛國神社
割塚古墳から徒歩約5分の場所にある神社。物部氏の一族である辛國連が創建したと言われています。大阪みどりの百選にも選ばれた、美しい参道が見所。

・紫雲山 葛井寺
鉢塚古墳から徒歩約6分の場所にあるお寺。葛井氏が創建したと言われるお寺で、古い歴史を持ちます。御本尊である千手観音像は文字通り1000本以上の手を持ち、国宝に指定されています。

・野中寺
割塚古墳より徒歩10分ほどの場所にあるお寺。聖徳太子の命により、蘇我馬子が開基したと伝わっています。毎月18日に御開帳される弥勒菩薩半跏思惟像は、重要文化財に指定されています。

野中寺
野中寺|弥勒菩薩像の御開帳と境内の見所とは?【御朱印】〜羽曳野市・アクセスと駐車場〜

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・野々上八幡神社
割塚古墳より徒歩10分ほどの場所にある神社。平安時代初期に隣接する野中寺の鎮守として創建されたともいわれています。

案内板

割塚古墳は、仲哀天皇陵古墳前方部の濠の南東隅から東へ50mの位置に造られた方墳です。墳丘から円筒埴輪が出土しました。

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