南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、羽曳野市白鳥にある「西馬塚古墳」です。百舌鳥・古市古墳群の一つで、世界文化遺産「41」に登録されています。
西馬塚古墳は、
西馬塚古墳とは
西馬塚古墳は、墳長45m、高さ9.4mの方墳で、5世紀後半に築造されたと考えられています。後世に削られているため墳丘は原型をとどめていません。
西馬塚古墳からは、須恵器、円筒埴輪、水鳥型の埴輪などが出土しています。「馬塚」と言うからには空気を読んで馬型の埴輪が出てきて欲しい所ですが、そうはならないのが古墳の世界。
宮内庁より「応神天皇陵は号陪冢」とされているため、古墳内に入ることは出来ません。ちなみに応神天皇陵の東側には「東馬塚古墳」と言う兄弟分みたいな名前の古墳がありますが、特に関係はないようです。
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応神天皇陵の陪塚とされていますが、西馬塚古墳は応神天皇陵よりも少し後の時代に築造されている事、また応神天皇陵から少し離れた場所にある事から実際は応神天皇陵の陪塚ではないと考えられています。
西馬塚古墳のすぐ近くには全長200mを超える前方後円墳「墓山古墳」が存在します。西馬塚古墳は墓山古墳の陪塚という説もありますが、時期や距離的な点から判断が分かれているようです。
現在は消滅していますが、1980年に西馬塚古墳のすぐ近くから住宅開発の際に2基の古墳が見つかっています。それぞれ白鳥1号墳、2号墳と言う20m程の円墳でした。もしかすると、それらを含めて独立した古墳群だった可能性もあります。
羽曳野市役所方面から西馬塚古墳への途中に「誉田白鳥埴輪製作遺跡」が存在します。この場所では埴輪を作る釜や埴輪職人の住居跡が発見。大規模な施設があったようで、平安時代まで公的施設が存在していたようです。
西馬塚古墳に行ってみました
住宅街に続く狭い道を「こんなところに古墳があるのか?」と思いながら歩いていると、ホントに古墳が出現します。
西馬塚古墳は東面と南面が開けているため、一応全体像を把握する事ができます。とは言え、住宅地と道がギリギリまで迫っているのでだいぶ窮屈な感じはします。
こちらが一番開けている東側になります。古市古墳群の方墳の中ではかなり高さがあるようで、中々の迫力があります。今は小山にしか見えませんが、築造当時は葺石が施され、円筒埴輪が並べられた美しい古墳だったのでしょう。
こちらが南側。こちらも住宅地がギリギリまで迫っています。角地の家なんかはかなり無理矢理建っているような・・・
それにしても宮内庁が管理する古墳ですが、珍しく柵がありません。だからといって入って良いわけではないのですが、柵がないと墳丘がスッキリ見えるので見ごたえを感じますね。
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄南大阪線「古市駅」下車。駅を西へ向かい、旧170号線を北上すると白鳥西の交差点で左右の道に分かれます。左を北に2分程歩くと羽曳野市役所があるので、建物の手前の道を左折。少し歩くと、左に住宅地への細い道があるので、道なりに歩くと西馬塚古墳が存在します。古市駅より徒歩約10分。
・自動車
西馬塚古墳に駐車場はありません。徒歩5分ほどの場所に市役所の有料駐車場があるのでそこから徒歩がおすすめです。
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西馬塚古墳データ
古墳名 | 西馬塚古墳 |
宮内庁名 | 応神天皇陵は号陪冢 |
住所 | 大阪府羽曳野市白鳥3丁目6-1 |
墳形 | 方墳 |
一辺 | 45m |
高さ | 9.4m |
築造時期 | 5世紀後半 |
埋葬施設 | 不明 |
被葬者 | 不明 |
参考資料 | ・案内板 ・古市古墳群をあるく【久世仁士】 ・羽曳野市史3 |
案内板
古市古墳群の中央部、標高約29mを測る段丘上の上に立地する方墳です。墳丘は後世に削られ原形を失っていますが、これまでの発掘調査によって、1辺の長さ約45m、高さ10m余りの、堂々とした規模であったことが明らかになっています。
墳丘の斜面には葺石が施され、周囲には幅約7mの濠が巡っています。墳丘の上には円筒埴輪は朝顔形埴輪とともに、家、盾、蓋、水鳥などをかたどった埴輪が立てられていました。
古墳時代中期(5世紀後半)に造られ、大型の前方後円墳に葬られる有力者に従った人物を埋葬したと推定されます。