突然ですが、羽曳野市にある「駒ヶ谷」の由来をご存じでしょうか?地名には場所の特徴からつけられるケースが多いですが、駒ヶ谷にはどのような由来があったのか?調べてみるとユニークな逸話がありましたので紹介いたします。
駒ヶ谷の由来
地名の由来は飛鳥時代。聖徳太子は空を駆ける謎の馬「黒駒」に乗り富士山の山頂に降り立ちます。山頂から周りを眺めていると、南河内周辺に光り輝く場所を発見。その場所こそ我が墓とするべきと考えた聖徳太子は南河内へ。いや、いくら何でも視力良すぎでしょう・・・
光り輝く場所を求めて、羽曳野市の古市から東へ向かう谷の入り口に到着。聖徳太子はこの場所で黒駒をつなぎ、しばし休憩をとったそうです。
以来、この場所から「黒駒」が残した蹄の痕が、石として時々見つかったそうです。それは現在も「駒石」として残されています。
そんな不思議な伝説から、この地は「駒ヶ谷」と呼ばれるようになったそうです。ちなみに聖徳太子が探していた光輝く場所というのは太子町にある五字ヶ峰。叡福寺にある聖徳太子廟の裏手にある山です。
駒ヶ谷駅周辺のスポット
駒ヶ谷周辺は竹内街道沿いに位置し、歴史的な史跡が多く存在します。そのなかで駒ヶ谷駅から行けるオススメの歴史スポットを紹介します。
飛鳥千塚古墳群
駒ヶ谷駅の東にそびえる鉢伏山、寺山には終末期に築造された古墳が数百基ほど存在。これらの古墳は総称して「飛鳥千塚古墳群」と呼ばれています。多くが私有地や、山深い場所にあるため見られませんが、比較的訪れやすい古墳を紹介。
鉢伏山西峰古墳
文字通り鉢伏山にある終末古墳の一つで、はびきの中央霊園内に存在する珍しい古墳。ここからの眺めは素晴らしく、一見の価値があります。
切戸1号墳
同じく、はびきの中央霊園内に存在する終末古墳の一つ。1号墳とありますが、2号墳はどこにあるか不明。奇麗に整備された古墳で、石室がよく観察できます。
大谷古墳群
はびきの中央霊園の手前に存在する、グレープヒルスポーツ公園内にある古墳群。元々は6基ありましたが、荒廃が激しかったため、現在は復元し移設された3基の古墳が保存されています。詳しい案内板が設置されており、わかりやすい古墳。
奉献塔山古墳
ブドウ畑の間にひっそりとたたずむ、知る人ぞ知る古墳。墳丘に小さな奉献塔が建てられているのが特徴です。こちらからの眺めも素晴らしく、羽曳野が一望できます。
神社仏閣
駒ヶ谷駅のすぐ北側を通る日本最古の官道「竹内街道」。難波都と飛鳥の間では、竹内街道を通じて多くの人や物が行き交っていました。古代の大動脈であった竹内街道沿いには歴史の古い神社仏閣が数多く存在します。
杜本神社
延喜式神名帳において「大社」に分類され、藤原氏ともつながりが深い神社。楠木正成の首塚とされる塚が存在します
天童山 大黒寺
役小角が開祖という大黒寺。ここは日本で初めて大黒様が祭られた由緒あるお寺です。境内には大黒様をはじめ、七福神の大きな像が置かれている他、ユニークな参拝方法にも注目です。
大祁於賀美神社
「お」が3つも連なる珍しい名前を持つ神社。小さな境内ですが、延喜式神名帳にも記載されている式内社。
それ以外にも、羽曳野市民の憩いの場である「石川河川公園」が駅前にあり、週末は多くの人で賑わっています。
一度、駒ヶ谷の周辺で古墳時代からの歴史を感じてみてはいかがでしょうか?