高向神社 | 神社の歴史が消えた理由とは?〜河内長野市〜

高向神社昔から地域を守り続ける神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。第17回は河内長野市高向にある「高向神社(たこうじんじゃ)」です。




高向神社には、多くの文化財が存在すると共に、高向王の墓とされる塚が存在する由緒ある神社です。

高向神社の歴史は不明な点が多いのですが、それには、ある人物がとった、とんでもない行動に理由がありました。

ある人物がとった行動とは一体?今回は、河内長野市高向にある「高向神社」を紹介します。

高向の歴史

高向神社国道170号上原交差点付近から、高向小学校周辺にかけて高向遺跡が存在しています。遺跡の調査から、石器時代から中世にかけて人々が暮らした跡が見つかっており、高向は古くから栄えていたようです。高向神社

高向は錦部郡に属し高向庄とも言われていました。高向の地名は古い記録にもあり、731年に記された「住吉大社神代記」にも登場。記録によれば、石川錦織許呂という渡来人が預かった山の所在地に、天野とともに高向の名が記されています

高向と高向玄理

高向玄理この高向の地を古くから本拠地としていたのは高向氏と言われています。高向氏は応神天皇の時代に、中国から阿知使主(あちのおみ)と共に日本に帰化した七姓漢人の一つと言われています。




高向神社は、この高向氏が祖神を祭るために創建したのではないかと言われています。

高向氏の中で最もよく知られている人物が、高向玄理(たかむこのくろまろ)。高向玄理は、推古天皇の時代、聖徳太子に選ばれ隋へ留学。留学中に隋が滅び、唐が建国されるという波乱をくぐり抜け、30年間中国で学び続けた人物です。

くろまろの郷
くろまろの郷にある「高向玄理顕彰碑」

帰国後も国博士という地位に就き、主に外交分野で活躍。新羅の王と折衝し、朝鮮半島における日本の影響力を維持するなど功績を残します。その後、遣唐使として唐に渡り、この地で生涯を終えます。

高向神社のすぐ近くにある「奥河内 くろまろの郷」のゆるキャラ「くろまろくん」は、この高向玄理がモデルとなっています。くろまろの郷

氏子座と記録焼失

高向神社高向神社の詳しい創建についてはよく分かっていません。それについては理由が存在します。

高向の村には「氏子座」と呼ばれるものが存在し、夏と秋に座席を設けて神酒をいただく祭典が行われていました。神酒をいただく順番には氏子座の記録によって決められ、厳しい格付けが存在していました。




ところが200年以上昔、代官の養子である町井伴吾は、自分の座席の低さを不快に思い、高向神社に放火。この火災により座の記録、社記その他の記録文書多くが焼失してしまいます。

いつの時代にも、突拍子もないことをする人はいますが、気に入らないから放火とはムチャクチャですね…

現在の高向神社

現在の高向神社は、高向・日野地区の氏神として崇拝されています。

本来は、素盞嗚尊、蛭子神、天児屋根命、保食神、白山姫命、菅原道真を祭っていましたが、春日神社と八坂神社が合祀され、武甕槌命、経津主命、比咩大神、大巳貴命が加わっています。




入口は南東向きに存在し、入口には鳥居が置かれていません。高向神社

入口手前に祭神は不明ですが、濠に囲まれた小さな祠が祭られています。高向神社

境内に入ってすぐ左側にある手水舎。オーソドックスな龍のパターンです。高向神社

正面にある赤い木製の鳥居。本殿は東を向いていますが、こちらの鳥居は、なぜか南側を向いています。裏側の入口から参拝する人のためでしょうか?高向神社高向神社

赤い鳥居のそばにある2基の灯篭の横には、4層の石塔が置かれています。室町時代の様式に似ているとのことですが、詳細は不明。高向神社

高向神社奥にあるお堂。高向神社

本殿前には、石の鳥居があり、後ろには古そうな狛犬。高向神社

境内には灯篭が数多く置かれています。本殿前にズラリと7基並んでいますが、この他にも10基ほど存在しています。もしかしたら、合祀された神社の灯篭だったのかもしれません。高向神社高向神社

社務所のような建物はありますが、お守りの販売や御朱印をされているかは不明。高向神社

本殿の裏に壊れた石造りの祠があるとのことですが、鎮守の森へは立入禁止のため確認できませんでした。

高向神社の文化財

本殿の造りは三間社切妻造で、1608年に建立されたことが棟札から分かっています。本殿は、江戸時代の様式を残す貴重な遺構として、河内長野市の市指定文化財になっています。高向神社

本殿には祭神とは別に「男神像」と「女神像」が祭られています。女神像は鎌倉時代、男神像は室町時代の作と言われ、こちらも市指定文化財。




また、高向神社に保管されている、江戸時代の祭礼の様子を描いた「高向神社祭礼図絵馬」も市指定文化財となっています。

毎年10月初旬に行われる例大祭では、こども獅子舞、日野獅子舞、地車の宮入が賑やかに行われます。中でも日野獅子舞は河内長野市の市指定無形民族文化財にもなっています。

高向王の墓?

社殿の北側には、小塔が建つ小さな塚が存在します。実はこの塚は円墳で、高向王の墓との言い伝えがあります。高向神社

高向王とは用明天皇の孫で、高向玄理とは別系統の人物。妻は敏達天皇の孫で、後に「皇極天皇」として即位する寶皇女です。2人の間には「漢皇子」が生まれていますが、それ以外に詳しいことはよく分かっていません。




子供の名前に「漢」がついていることから、渡来系の一族と関わりがあったとも言われています。高向神社

高向王と高向神社との繋がりは、よくわかっていません。ただ、高向神社の塚以外にも、河内長野市上原にある「塚穴古墳」、河内長野市上原西町にある「伝 仲哀天皇陵」も高向王の墓との言い伝えがあります。

高向王の名の由来は高向庄との説もあり、もしかすると3基の墓のうちどれかが高向王の墓なのかもしれません。

アクセス

公共交通機関

河内長野駅最寄駅は南海高野線、もしくは近鉄長野線「河内長野駅」。南海バス「高向線」にて「上高向」下車から徒歩約3分。

自動車

国道170号線「文化園口」を東へ曲がります。曲がって最初の信号に高向神社の看板があるので、そこを右折。右折後300m ほど進むと三叉路になるので、ここで左折。細い路地を抜けると、高向神社の駐車場があります。




ただし、周辺は道幅が狭いので「道の駅 奥河内くろまろの郷」に車を停めて、徒歩で向かう方が安心です。

周辺スポット

道の駅 奥河内くろまろの郷

くろまろの郷高向神社から徒歩5分程の場所にある道の駅。地元でとれた野菜を使ったビュッフェが人気。

「奥河内くろまろの郷」で、食べて・遊んで・体験!~アクセス 道の駅~

花の文化園

花の文化園高向神社から徒歩8分程の場所にあるテーマパーク。様々な花を四季を通じて楽しめます。

塚穴古墳

塚穴古墳高向神社から徒歩20分程の場所にある古墳。墳形は留めていませんが、15m程の円墳だったと考えられています。こちらの古墳も高向王の墓との言い伝えがあります。

塚穴古墳(河内長野市) | ぶら古墳vol.7~河内長野市 アクセス~

仲哀天皇御廟碑

仲哀天皇石碑高向神社から徒歩約25分程の場所にある石碑。仲哀天皇陵とされた場所は、この石碑より500m程西にあります。現在では仲哀天皇陵の説は否定されており埋葬者は不明ですが、高向王の墓とも伝わっています。

高向神社データ


住所:大阪府河内長野市高向291
祭神:素盞嗚尊、蛭子神、天児屋根命、保食神、白山姫命、菅原道真、武甕槌命、経津主命、比咩大神、大巳貴命
摂社:弁財天(?)
旧社格:村社(1872年)
式内社:なし
祭礼:10月
参考資料:大阪府神社名鑑、河内長野市HP