南河内にある古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。羽曳野市はびきのにある「小口山古墳」です。小口山古墳は、古市古墳群の領域に存在しますが、築造時期が異なるため、古市古墳群には含まれません。
小口山古墳は「横口式石槨(よこぐちしきせっかく)」と呼ばれる埋葬施設を有しています。この石槨は、横口式石槨の中でも「くり抜き式」と呼ばれる少し珍しいタイプ。くり抜き式の横口式石槨とは、どんなものなのか?今回は、羽曳野市はびきのにある「小口山古墳」を紹介します。
特徴のある横口式石槨
小口山古墳は、直径約14mの円墳。元の高さは5m程あったと考えられていますが、現在は2.5m程となっています。横口式石槨の形状などから、7世紀後半に築造されたと考えられています。
小口山古墳の横口式石槨は、1912年の開墾時に発見されました。元々は開口部を塞ぐ扉石もありましたが、現在は民家の中庭に置かれているとのこと。横口式石槨の特徴から「河内軽里の堀抜石棺」とも言われています。
石槨の規模は、長さ2.7m、幅および高さ1.6m。材質は、二上山の柔らかく加工しやすい白色凝灰岩を使用。横口式石槨の側面には大きさがまばらな石英安山岩を重ねて壁を作り、石槨の下には板状の凝灰岩を3枚並べています。
この石槨が「河内軽里の堀抜石棺」と呼ばれるには、その特徴にあります。多くの石槨は、底石、蓋石などの切石を組み合わせて作ります。しかし小口山古墳の横口式石槨は、大きな1つの凝灰岩をくり抜いて作り上げているのです。
石槨を作るならば、1つの石をくり抜いて加工するよりは、別々の石を加工して組み合わせるほうが容易です。実際に、小口山古墳の近くに存在した徳楽山古墳の横口式石槨は、複数の石を組み合わせています。小口山古墳の被葬者は、横口式石槨という製造に手間がかかるものを作らせるだけの力と、自己顕示欲を有していたのかもしれません。
埋葬者はだれ?
埋葬者について、詳しいことはわかっていません。ただ「続日本書紀」によると「野中寺以南の寺山には、葛井・船・津氏の墓地があった」と記録があります。葛井・船・津氏は、百済王族である辰孫王の末裔。寺山とは、小口山古墳のすぐ東に存在する山で、現在は住宅地になっています。かつて寺山には善正寺という寺院が存在しており、津氏または船氏が、7世紀頃に建立したと考えられています。
このような立地状態から、津氏または、船氏が善正寺で祖先を祭り、一族を周辺の古墳に祭った可能性も考えられます。
近隣の古墳
現在は消滅していますが、小口山古墳の近くには「小口山東古墳」「西山古墳」が存在していました。
小口山東古墳は、7世紀後半に築造された東西30m、南北21mの方墳。存在した場所には、古墳の痕跡は見あたりません。埋葬施設は破壊され、切石の一部分のみ確認されています。状況から横穴式石室もしくは、横口式石槨と考えられています。
西山古墳は、4世紀後半に築造された、40m程の前方後円墳と考えられています。西山古墳からは、円筒埴輪を2個つなげて棺に転用した「円筒埴輪棺」が出土しています。原材料は、西山古墳も古墳の痕跡は見あたりません。
峰塚古墳内には
・小口山古墳 7世紀後半
・小口山東古墳 7世紀後半
・峯ヶ塚古墳 6世紀始め
・西山古墳 4世紀後半
と4基の古墳が存在、または存在していたことになります。面白いことに、古墳が築造された時代にバラつきがあります。小口山古墳と小口山東古墳は同時期に築造されたと考えられています。しかし西山古墳と峯ヶ塚古墳は、それぞれ築造された時代が異なるため関連性はないように思えます。
現在の小口山古墳
小口山古墳は、峰塚公園内にある「郷土の森ゾーン」の丘に存在。丘への登り口は何ヶ所かありますが、今回は公園の一番奥から向かいます。
広い公園をブラブラと歩き、公園奥までいくと唐突に現れる謎のトーテムポール。10年ぐらい前に設置されたものですが、なぜここにトーテムポールなのかは不明です。
「ここに像を置くならば100%埴輪じゃないのか?」と思わせて、まさかのトーテムポール。よくわかりませんが、本格的な造りですし、これはこれで面白いのかもしれません。トーテムポールの奥から、丘へ登っていくと小口山古墳が存在します。公園を訪れる大半の人が興味がないのか、あまり訪れた形跡はありません。
石槨の周囲は、土嚢が積み重ねて保護しています。石槨の入口は開口しており、扉石は失われています。
石槨は1個の石をくり抜いて作られていますが、底部が埋もれており全体を確認できません。しかし、いくら凝灰岩が柔らかいといっても「これをくり抜いといて」と言われたら暴れそうですね。
運搬についても、組み合せの石槨ではないので、バラして運べません。この巨大な石を丘の上まで運べとか言われると、許してくださいという感じです。
小口山古墳を少し上った所は「遺物散布地」となっています。いくつかの石がありますが、古墳に使われた石なのか、ただの石なのか…まあ、石なんですが。
この丘からは、峯ヶ塚古墳や白鳥陵古墳が一望できます。かつての大王達の墓を見下ろすように古墳を築造した人は、どんな人物だったのでしょうか?
小口山古墳データ
古墳名 | 小口山古墳 |
住所 | 大阪府羽曳野市はびきの2丁目3-7 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 14m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 7世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横口式石槨 |
出土物 | |
指定文化財 | 市の史跡:平成19年3年30日 |
参考資料 | ・古市古墳群を歩く【創元社:久世仁士】 ・河内の古道と古墳【世界思想社:泉森 皎】 ・庭烏塚古墳発掘調査報告書【羽曳野市教育委員会:2010】 ・羽曳野市内遺跡調査報告書:平成16年度 |
アクセスと駐車場
◆公共交通機関
近鉄南大阪線「古市駅」より徒歩約15分。古市駅から西へ10分程歩くと、国道170号線にたどりつきます。信号を渡りさらに西へ歩くと南側に峰塚公園がみえます。
◆自動車
国道170号線「軽里北交差点」を西へ。曲がってすぐに左折できる細い道を直進すると、峰塚公園の駐車場が存在します。
駐車台数 障害者等用 3台 普通車48台
・基本料金:5時間以内:300円
・加算料金5時間超24時間以内 200円
・以後24時間(24時間に満たない場合は24時間とみなす。)毎に500円
※備考駐車時間6:00~22:00
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