南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、松原市別所にある「熱田神社(あつたじんじゃ)」です。熱田神社には、ちょっと変わった由来と、バラエティー豊かな崇拝物が存在します。それはいったいどのようなものなのか?今回は、松原市別所にある熱田神社を紹介します。
熱田神社とは
熱田神社の創建は不明ですが、松原市のホームページによると、別所地区に住む僧が尾張の熱田神宮を参拝し、祭神の日本武尊を勧請したとあります。大阪府下において日本武尊を祭る神社は少なく、熱田神社の他には「大鳥神社(堺市)」「白鳥神社(羽曳野市)」「熱田神社(寝屋川市)」の3社しかありません。
勧請元の熱田神宮は、三種の神器である「草薙剣」が主祭神。また相殿には、日本武尊を祭っています。神話において、日本武尊は草薙剣を用いて東征での危機を乗り越えており、草薙剣と日本武尊には強いつながりがあります。
全国の神社では「八幡神(応神天皇)」「天神様(菅原道真)」「牛頭天王(素戔嗚尊)」「稲荷神」などが多く祭られています。そんな中、日本武尊を祭神としたところに、熱田神社のユニークさを感じます。
境内の一番古い灯篭が1700年(元禄13年)であることから、江戸時代初期までは遡ることができます。また、この時代は「熱田大明神」と称されていたとのこと。1872年(明治5年)に村社に列し、現在は別所地区の氏神として、地域で崇められています。
現在の熱田神社
創建の由来にある「僧侶が熱田神宮に参拝して、日本武尊を祭神として勧請した」というのがハチャメチャな感じがするのですが、神仏融合が進んでいた時代なら普通なんでしょうか?
神社の中に寺や、寺の中に神社が存在するケースもよくあるので、案外おかしくないのかもしれません(?)こちらが熱田神社の正面。なにやらノボリが山のようにはためいています。
鳥居をくぐると、右側にある手水舎。鳥居と手洗石には、1758年(延亨17年)と刻まれており、この時期に奉納されたようです。参道右前は、社務所になっていますが、普段は無人と思われます。
手水舎之裏手には「神馬」が存在。かつては多くの神社では馬を奉納する習わしがあったそうです。ただ世話が大変ということで像を置くようになったとか。
参道に戻り、左側にある「力石」。力石は、村の若者たち力比べをするために用いられました。表面には力強く「力石」と彫られており、なかなか自己主張の激しい力石のようです。
「力石 今宮 □六町 佐吉」と彫られていることから、佐吉さんが持ち上げたという記念に彫られたのかもしれません。力石の近くにある石碑。神社の由緒が刻まれていると思いきや、読んでみると日本武尊の伝説が書かれているだけでした…。熱田神社は、兵火で焼けたり合祀されたりしていないのですが、不思議と情報があまりありません。
参道の正面にある狛犬と拝殿。朱色の柵を巡らせ、屋根から提灯を大量にぶら下げた賑やかな雰囲気。拝殿内には明治時代前期に奉納された芝居絵馬が数多くあるそうですが、外からは確認できませんでした。
拝殿に掛けられた「熱田大明神」と掛かれた扁額。「1703年(元禄16年)に奉納」と記載されているにも関わらず非常に綺麗なのですが、こちらは複製品とのこと。
本殿は外から見えませんが、江戸後期頃の一間社流造りとのこと。拝殿側面に掛けられた巨大な日本武尊の絵馬。日本武尊は東征中に妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)と死別しており、絵馬には足柄山にて妻を偲ぶ「吾妻はや」のシーンが描かれています。
本殿の裏側にある「樟(クスノキ)」は、樹齢400年以上ともいわれています。
バラエティ豊かな崇拝物
僧侶が、熱田神宮から日本武尊を勧請したと伝わるためか、境内には神仏融合色が強く、バラエティ豊かな崇拝物が存在します。拝殿手前にある「稲荷大神」こちらは、一般的なお稲荷様。
こちらは「金比羅大権現」。金比羅様は、日本古来の神様ではなく、神仏習合により生まれた神様として知られています。
拝殿裏側にある「庚申尊」。かつて庚申の日には、神仏を祭って徹夜をする「庚申講」という風習がありました。「神仏を祭って」とあるほどフワッとした民間信仰の祠です。
庚申尊の隣にある「不動尊」。不動明王は仏様なので、完全に寺。
こちらは、境内南側入口脇にある地蔵堂。別名「首なし地蔵」とよばれ、大和川から拾い上げられたと伝わっています。ちょっと怖い別名ですが、卍マークがついているので完全に寺ですね…
入口付近にある灯篭。一見、普通の灯篭に見えますが、台座の上に置かれるなど特別扱いをされています。この灯篭は、ちょっと珍しい「切支丹灯篭(きりしたんとうろう)」と呼ばれるもの。
江戸時代はにおいて、キリスト教は禁止されており、キリスト教を信じていることが見つかると厳しく罰せられました。灯篭の胴体下部に彫られた人物がマリア様とされ、信者が密かに礼拝物としたようです。江戸時代中期に作られたものらしく、この一帯に隠れキリシタンがいたもよう。
松原に隠れキリシタンがいたのは、お隣が貿易港として栄えた堺市だったのが理由かもしれません。しかし隠れキリシタンがいたとして、切支丹灯篭を神社に置いているのもフリーダム感があっていいですね。
まとめ
熱田神社の特徴をまとめると
・僧侶が熱田神宮から日本武尊を勧請したという言い伝え。
・大阪府下では日本武尊を祭る数少ない神宮。
・境内には神仏が多数混在。
・珍しい切支丹灯篭
熱田神社は、地域の人々に密着した非常に素敵な神社でした。
熱田神社データ
神社名 | 熱田神社 |
住所 | 大阪府松原市別所6丁目5 |
祭神 | 日本武尊 |
摂社 | 龍神大神、稲荷大神、金比羅大権現、庚申尊、不動尊 |
旧社格 | 村社 |
式内社 | なし |
祭礼 | 10月15日 |
参考資料 | ・松原の神社 ・松原市ホームページ |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄南大阪線「河内松原駅」下車。少し西に歩き、突き当たりを右折して中高野街道に入ります。中高野街道を北に20分ほど歩くと「三宅横断歩道橋」のある交差点を右折。さらに10分ほど東へ歩き、熱田神社の看板が見える二又を右へ。少し直進した先に熱田神社があります。
・自動車
熱田神社の裏側は、広い駐車場があるように見えますが、公民館の駐車場なので利用できません。大堀八幡神社の近くにコインパーキングがあるので、そこから徒歩がオススメです。
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