MENU
  • エリア
    • 松原市
    • 藤井寺市
    • 羽曳野市
    • 富田林市
    • 大阪狭山市
    • 河内長野市
    • 太子町
    • 河南町
    • 千早赤阪村
    • 堺市美原区
  • 南河内の神社仏閣
    • 松原市の神社仏閣
    • 藤井寺市の神社仏閣
    • 羽曳野市の神社仏閣
    • 富田林市の神社仏閣
    • 大阪狭山市の神社仏閣
    • 河内長野市の神社仏閣
    • 太子町の神社仏閣
    • 河南町の神社仏閣
    • 千早赤阪村の神社仏閣
    • 美原区の神社仏閣
  • 南河内の古墳
    • 松原市の古墳
    • 藤井寺市の古墳
    • 羽曳野市の古墳
    • 富田林市の古墳
    • 河内長野市の古墳
    • 太子町の古墳
    • 河南町の古墳
    • 千早赤阪村の古墳
    • 美原区の古墳
  • スポット
    • 道の駅
    • 聖徳太子ゆかりの地
    • 楠木正成ゆかりの地
    • 日本武尊ゆかりの地
    • 開運松原六社参り
南河内に何がある?|南河内の観光スポットを紹介
  • エリア
    • 松原市
    • 藤井寺市
    • 羽曳野市
    • 富田林市
    • 大阪狭山市
    • 河内長野市
    • 太子町
    • 河南町
    • 千早赤阪村
    • 堺市美原区
  • 南河内の神社仏閣
    • 松原市の神社仏閣
    • 藤井寺市の神社仏閣
    • 羽曳野市の神社仏閣
    • 富田林市の神社仏閣
    • 大阪狭山市の神社仏閣
    • 河内長野市の神社仏閣
    • 太子町の神社仏閣
    • 河南町の神社仏閣
    • 千早赤阪村の神社仏閣
    • 美原区の神社仏閣
  • 南河内の古墳
    • 松原市の古墳
    • 藤井寺市の古墳
    • 羽曳野市の古墳
    • 富田林市の古墳
    • 河内長野市の古墳
    • 太子町の古墳
    • 河南町の古墳
    • 千早赤阪村の古墳
    • 美原区の古墳
  • スポット
    • 道の駅
    • 聖徳太子ゆかりの地
    • 楠木正成ゆかりの地
    • 日本武尊ゆかりの地
    • 開運松原六社参り
南河内に何がある?|南河内の観光スポットを紹介
  • エリア
    • 松原市
    • 藤井寺市
    • 羽曳野市
    • 富田林市
    • 大阪狭山市
    • 河内長野市
    • 太子町
    • 河南町
    • 千早赤阪村
    • 堺市美原区
  • 南河内の神社仏閣
    • 松原市の神社仏閣
    • 藤井寺市の神社仏閣
    • 羽曳野市の神社仏閣
    • 富田林市の神社仏閣
    • 大阪狭山市の神社仏閣
    • 河内長野市の神社仏閣
    • 太子町の神社仏閣
    • 河南町の神社仏閣
    • 千早赤阪村の神社仏閣
    • 美原区の神社仏閣
  • 南河内の古墳
    • 松原市の古墳
    • 藤井寺市の古墳
    • 羽曳野市の古墳
    • 富田林市の古墳
    • 河内長野市の古墳
    • 太子町の古墳
    • 河南町の古墳
    • 千早赤阪村の古墳
    • 美原区の古墳
  • スポット
    • 道の駅
    • 聖徳太子ゆかりの地
    • 楠木正成ゆかりの地
    • 日本武尊ゆかりの地
    • 開運松原六社参り
  1. ホーム
  2. エリア
  3. 太子町
  4. 科長神社|神功皇后誕生の地?【御朱印】~南河内郡太子町~

科長神社|神功皇后誕生の地?【御朱印】~南河内郡太子町~

2024 9/16
太子町 太子町の神社仏閣
2021年5月27日2024年9月16日
科長神社の全景

南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、南河内郡太子町山田にある「科長神社(しながじんじゃ)」です。科長神社には、神功皇后誕生の地という伝説が残されています。神功皇后は、三韓征伐を行った女傑として知られていますが、なぜ科長神社が、神功皇后の誕生地とされているのか?今回は、南河内郡太子町山田にある「科長神社」を紹介します。

科長神社とは

科長神社は、927年に記された延喜式神名帳に記載された由緒ある式内社。もともとは二上山にあり「二上権現」と呼ばれていました。のちの1238年(歴仁元年)に、現在地へ移ったといわれています。一説には、現在地より北東にそびえる「神山」にあり、1648年(慶安元年)に移ったとの説もあります。もともとこの場所には「土祖神社」「一名恵比須神社」がありましたが、科長神社が移った際に末社となっています。

二上山
二上山

一説には、現在地より北東にそびえる「神山」にあり、1648年(慶安元年)に移ったとの説もあります。もともとこの場所には「土祖神社」「一名恵比須神社」がありましたが、科長神社が移った際に末社となっています。主祭神は、級長津彦命(しなつひこのみこと)・級長津姫命(しなつひめのみこと)の2柱。両神は、イザナミ、イザナギの子で「風の神」とされています。

科長神社の灯篭

いつの頃かは不明ですが、素盞嗚命・品陀別命・建御名方命・武甕槌命・経津主命・天児屋根命・天照大神を祭祀。江戸時代までは「八社大明神」と称していました。1872年(明治5年)に郷社に列し、1907年(明治40年)に春日の素盞鳴神社、太子字上城の科長岡神社を合祀。現在に至ります。

科長岡神社
叡福寺内に復社した「科長岡神社」

科長神社は神功皇后誕生の地

科長神社は、神功皇后の誕生の地という伝説が残されています。その前に、神功皇后とはどのような人物なのでしょうか?神功皇后は、死後に送られた名前で、古事記では「息長帯姫大神(おきながたらしひめのみこと)」と記されています。

神功皇后陵
奈良にある神功皇后陵

父は息長宿禰王、母は葛城高顙媛。息長氏は、第9代開化天皇の三男「彦坐王」を祖に持つ古代の名族として知られています。神功皇后は、第14代仲哀天皇の皇妃となり、天皇の熊襲討伐に同行しました。討伐の際に仲哀天皇は、神より朝鮮半島への侵攻の啓示を受けますが、これを無視。激怒した神は、仲哀天皇を呪い殺してしまいます。

仲哀天皇陵
藤井寺市にある「仲哀天皇陵」

突然、夫を失った神功皇后は、神の意志を引き継ぎ、朝鮮半島へ侵攻。新羅を降伏させると、百済、高句麗も軍門に下りました。いわゆる「三韓征伐」です。

神功皇后
月岡芳年筆「日本史略図会 第十五代神功皇后」
ウィキペディアより(パブリック・ドメイン)

神功皇后は、三韓征伐中に誉田別尊(後の応神天皇)を懐妊していましたが、日本で産むために腰に石を縛り付けて出産を遅らせます。神功皇后が日本に帰国すると、仲哀天皇の長男、次男(二人は神功皇后の子供ではない)が謀反を起こしますが、すぐさま鎮圧。その後、産まれた息子を皇位に就かせ、第15代応神天皇となります。

誉田御廟山古墳(応神天皇陵)
羽曳野市にある「応神天皇陵」

三韓征伐、腰に石を巻き出産を遅らせる、謀反を鎮圧と、神功皇后のイメージは、剛毅な女傑といえます。

科目神社一帯は息長氏の本拠地?

科長神社一帯は、神功皇后の一族である息長氏の本拠地だったとする説が存在します。確固たる根拠はありませんが、いくつかの理由を挙げると

①科長(しなが)と息長(おきなが)が似ている。
科長神社の建つ場所は「磯長(しなが)」ともいわれるエリアに存在します。
科長→磯長→息長
となり、息長氏の本拠地と考えられたとの説。

また、息長は「しなが」とも読めることから、息長氏の本拠地とする説もあります。(なぜ「息」を「し」と読めるのかは分かりませんが…)

②科長神社の末社に「息長宿禰王」「葛城高顙媛」が祭られている。
息長宿禰王と葛城高顙媛は、神功皇后の両親。科長神社の末社「土祖神社」「一名恵比須神社」にこの2人が祭られています。こちらも息長氏が本拠地とした理由の一つ。

③社宝として「神功皇后雛形兜」がある。
神功皇后が三韓征伐の時、御所用兜の雛形として作らせた「神功皇后雛形兜」が、社宝として残されています。本物を見ることはできませんが、太子町立竹内街道歴史資料館にレプリカが展示されています。

神功皇后雛形兜のレプリカ
太子町立竹内街道歴史資料館にある「神功皇后雛形兜」のレプリカ

謎が多い息長氏

いくつか息長氏の河内国本拠地説を挙げましたが、一般的には近江国坂田郡(滋賀県彦根市一帯)が有力候補とされています。ただ、息長氏については、不明な点も多く確証はありません。

息長氏は、神功皇后以外にも皇室に娘を嫁がせている名族です。しかし、政治の表舞台にあらわれることは少なく、末裔も不明というミステリアスな一族。実際に息長氏の本拠地がどこなのかは不明ですが、枝分かれした息長氏の一族が科長神社周辺にいたのかもしれません。

科長神社へ行ってみました

今回は、車で科長神社へ向かいました。南河内グリーンロードを南に下りますが、曲がる道が1本早かったため、とんでもなく狭い道に突入。対向車がこないかドキドキです。科長神社の駐車場はなさそうですが、神社の手前に数台停められそうなスペースがあるので、そちらに駐車。

科長神社は、山の麓にあり緑に囲まれた神秘的な雰囲気。入口には「科長社」と彫られた灯篭が置かれています。科長の読み方は「しなが」ですが、地味に難読です。「磯長」を「しなが」と読むのも分かりませんが…

科長神社の石碑

坂を上ると、正面にとても長い階段があります。この先に存在するのが「小野妹子の墓」。太子町は、聖徳太子ゆかりの土地として知られており、飛鳥時代の史跡が数多く残されています。

小野妹子の墓

神功皇后は、飛鳥時代から数百年昔の人物なので、科長神社だけすこし浮いた感じも…。ちなみに小野妹子の墓は、科長神社の隣にありますが、小野妹子と科長神社に接点は無いようです。階段の横にある手水舎。科長神社の裏には「八精水」と呼ばれる湧き水があり、刀鍛冶がこの水で刀を鍛えたといわれています。この手水舎の水が八精水なのかは、不明ですが…

科長神社の手水舎

鳥居には「八社大明神」と書かれた扁額が掛けられています。こちらは、江戸時代の公家「藤原頼孝」により書かれたもの。一説によれば、藤原頼孝が祖神である春日神を勧請し「八社大明神」と称させたといわれています。

科長神社の鳥居
科長神社の扁額

しかし、科長神社に祀られている神様の数を数えると「九柱」なんです・・・まあ「八」という数字は「たくさん」という意味もあるみたいなんでツッコんではいけないのかも・・・

藤原頼孝について調べてみましたが、情報が少なく科長神社とのつながりは分かりませんでした。藤原頼孝は藤原北家の流れを汲む公家ですが、この頃は「葉室」と称していたようです。太子町には「葉室」と呼ばれる地区があることから、何かつながりがあったのかもしれません。

鳥居をくぐり、すぐ左側にある金平大明神。社名の通り金比羅様を祭っているようです。大量の旗指物がハデハデです。

科長神社の金平大明神
科長神社の金平大明神

境内右端並べられている、巨大な灯篭。

科長神社の灯篭

拝殿の左側に社務所がありますが、宮司さんは常駐していないようです。

科長神社の全景

境内奥にある狛犬と灯篭。こちらの灯篭には「八社宮」と彫られています。なぜか周囲を竹の柵で囲んでいます。

科長神社の灯篭
科長神社の狛犬

正面からは見られませんが、拝殿の裏側に本殿が存在。本殿は、三間流造・千鳥破風を持つとのこと。本殿の脇に「息長宿禰王」「葛城高顙媛」を祭る社があるそうですが、確認するのを忘れていました。

科長神社の拝殿

帰ろうかと思い、戻る途中に奥に続く道があったので、行ってみることに。道の先には、かなりしっかりした鳥居と、社が置かれていたと思われる土台がありました。昔は、神社があったと思われますが、詳細は不明です。

科長神社

科長神社

まとめ

科長神社の鳥居

神功皇后にゆかりのある科長神社を紹介しました。神社の情報は色々出てくるのですが、フワッとした内容が多く謎が多い神社でした。現在地に遷座してから明治時代までの記録もほとんどありません。それなりに敷地も広く由緒ある神社ですが、案内板なども一切ありません。なにかこだわりがあるのでしょうか…

御朱印

御朱印書置き
初穂料300円

宮司さんは常駐していないため、祭事などの時期にいただけるのではないでしょうか?

科長神社の御朱印

科長神社データ

神社名科長神社
住所大阪府南河内郡太子町山田3751
祭神級長津彦命・級長津姫命
配神素盞嗚命・品陀別命・建御名方命・武甕槌命・経津主命・天児屋根命・天照大神
摂社金平大明神・二上神社、恵比須神社、琴平神社
旧社格郷社
式内社式内小社
祭礼7月第4回日曜日:夏祭り・だんじり
参考資料大阪府神社名鑑

アクセスと駐車場

太子町 太子町の神社仏閣
式内社 御朱印
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
  • 軽羽迦神社|名前の由来は仮の墓?軽の墓?~羽曳野市~
  • 寛弘寺古墳群|紺口県主との関係とは?~河南町~

この記事を書いた人

ミナカワのアバター ミナカワ

関連記事

  • 葉室塚古墳|皇族クラスの双方墳?〜太子町〜
    2022年8月14日
  • 春日西之宮跡地|旧社地に残る不思議な空間~太子町~
    2022年8月7日
  • もしかして蘇我馬子の墓?~太子町~
    2022年6月5日
  • 白が基調のパッケージが可愛い!太子町の「太子せんべい」
    2022年6月1日
  • プチリニューアルした「道の駅|近つ飛鳥の里・太子」に行ってきました。〜太子町〜
    2022年5月29日
  • 九流谷古墳
    九流谷古墳|前方後方墳という珍しい古墳~太子町~
    2022年1月23日
  • 科長神社の全景
    南河内郡の式内社7社を紹介〜堺市美原区・太子町・河南町・千早赤阪村〜
    2021年8月15日
  • モンド神塚古墳|カッコいい名前だけど古墳じゃない?〜太子町〜
    2021年3月19日
カテゴリー
  • ふるさと納税
  • イベント
  • イベント
  • グッズ
  • グルメ
  • スポット
  • 千早赤阪村
  • 千早赤阪村の古墳
  • 千早赤阪村の神社仏閣
  • 南河内の古墳
  • 南河内小ネタ
  • 堺市美原区
  • 堺市美原区の古墳
  • 大阪狭山市
  • 大阪狭山市の神社仏閣
  • 太子町
  • 太子町の古墳
  • 太子町の神社仏閣
  • 富田林市
  • 富田林市の古墳
  • 富田林市の神社仏閣
  • 日本武尊ゆかりの地
  • 書評
  • 未分類
  • 松原市
  • 松原市の古墳
  • 松原市の神社仏閣
  • 楠木正成ゆかりの地
  • 河内長野市
  • 河内長野市の古墳
  • 河内長野市の神社仏閣
  • 河南町
  • 河南町の古墳
  • 河南町の神社仏閣
  • 美原区の神社仏閣
  • 羽曳野市
  • 羽曳野市の古墳
  • 羽曳野市の神社仏閣
  • 聖徳太子ゆかりの地
  • 藤井寺市
  • 藤井寺市の古墳
  • 藤井寺市の神社仏閣
  • 道の駅
  • 開運松原六社参り

 

[st-catgroup cat=”0″ page=”5″ order=”desc” orderby=”id” child=”on” slide=”on” slides_to_show=”3,3,1″ slide_date=”” slide_more=”ReadMore” slide_center=”on” fullsize_type=”text”]

  • 南河内に何があるとは
  • プライバシーポリシー
  • お問い合わせ
  • 免責事項

© 南河内に何がある?|南河内の観光スポットを紹介.

目次
 

コメントを読み込み中…