南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、富田林市彼方にある「彼方春日神社(おちかたかすがじんじゃ)」です。彼方地区の氏神として崇められている春日神社ですが、詳しい歴史がほとんど分かっていない謎の多い神社です。そんな謎の多い彼方春日神社とはどのような神社なのか?今回は、富田林市彼方にある「彼方春日神社」を紹介します。
彼方春日神社とは
彼方春日神社の建つ彼方地区は、北を309号線、南は嶽山山頂付近。西は石川、東は佐備川の少し手前までを領域としています。彼方地区の半分以上は丘陵地と嶽山が占め、主な住宅地は石川と丘陵地の間に集まっています。彼方春日神社は、住宅地の東側丘陵地に存在しています。
彼方春日神社の詳しい創建は、分かっていません。平安時代の僧である直然が記した手記(887年)によると、828年に弘法大師(空海)によって創建したと記しています。
僧侶である空海が神社を建てたというのもおかしな話ですが、南河内には空海ゆかりの地が多く残されています。河内長野市の「青賀原神社」も空海による創建とされる他、空海が掘った井戸や腰掛けた石など空海ゆかりの遺物が南河内には多数存在します。
東高野街道、中高野街道、西高野街道などが南河内を通っており、空海が開山した「高野山」に至る街道が存在することが関係しているのかもしれません。
資料により異なる彼方春日神社の祭神
彼方春日神社の祭神については資料により異なっています。
■大阪府神社名鑑(昭和46年)
・天児屋根命(あまのこやねのみこと)
・金山彦命(かなやまひこのかみ)
・経津主命(ふつぬしのかみ)
■郷土史の研究(大正15年)
・天児屋根命
・経津主命
・大日霊命(おおひるめのみこと)
・大己貴命(おおあなむちのみこと)
・武御雷神(たけみかづちのみこと)
それぞれの資料に共通するのが、天児屋根命と経津主命。春日神社の総社である春日大社では、この2柱に武御雷神と比売神を加えた4柱を祭っています。
大阪府神社名鑑にある「金山彦命」は、イザナミの子供で、金属や鉱山にゆかりがある神様として知られています。郷土史の研究にある「大日霊命」は、天照大神で、「大己貴命」は、大国主命の別名です。
現在の祭神について彼方春日神社に案内板がないため不明ですが、富田林市史では大阪府神社名鑑を引用していました。そのため現在の祭神は、「天児屋根命」「金山彦命」「経津主命」の3柱と考えられます。彼方春日神社の創建後の歴史についてはよく分かっていません。明治5年、村社に指定。明治40年に、近隣から伏見堂神社、嬉横山天神を合祀して現在に至ります。
彼方春日神社へ行ってみました
彼方春日神社の名前ですが、「彼方」と書いて「おちかた」はなかなかの難読漢字です。最近まで「かなた」と思い込んでいました。彼方春日神社の入口は、2個所あります。彼方の集落から続く西側が正面入口ですが、こちらには駐車場がありません。南側の入口に彼方春日神社の駐車場があるため、今回は南側から訪問することにしました。
ただ、この入口がなかなか分かりにくい場所で、つい見過ごしてしまいます。そして道が狭く運転泣かせな道で、対向車こないかと少しヒヤヒヤしました。最初の細い道を過ぎると少し道も広くなり、無事に神社の駐車場に到着。
ちなみに神社の隣は「滝谷公園」があり、桜のシーズンは多くの人で賑わうとのこと。
さて境内に入っていくと、山の中腹ということもあり、多くの木々に囲まれています。本殿に行くまでにいくつかの摂社がありますが、まずは本殿に向かいましょう。
こちらが一の鳥居と手水舎になります。鳥居には「元禄」という文字が彫られており、江戸時代の1688年から1704年の間に奉納されたようです。
手水舎は屋根付で、四角い石をくり抜いた水盤を配置。水道の蛇口が取り付けられたシンプルなタイプで、比較的きれいな柄杓も置かれています。
こちらは社務所。一応宮司さんがいらっしゃるようですが、この日は留守でした。御朱印が頂けるかどうかは不明。
拝殿前にある一対の狛犬。口と目元が赤色の装飾が施されており、狛犬としては珍しいタイプではないでしょうか。
一段上ったところにある拝殿。拝殿内部には、山から昇る朝日が描かれた絵が飾られています。絵の中で描かれている山は、もしかすると彼方春日神社に連なる「嶽山」か「金胎寺山」かもしれません。
こちらが彼方春日神社の本殿。本殿の前にも一対の狛犬と鳥居が置かれています。この本殿に・天児屋根命・金山彦命・経津主命を祭っているようです。
ちなみに、神社の正面入口はこの様になっています。少し長い階段が続きますが、手すりもついているため、上りやすくなっています。
では境内にある多くの摂社を見ていきましょう。
嬉横山天神と伏見堂神社
本殿のすぐ脇にある、「嬉横山天神」「伏見堂神社」を合祀した社。それぞれ嬉地区、伏見堂地区の氏神でしたが、明治時代に彼方春日神社に合祀されました。嬉横山天神は「事代主命」「菅原道真」「天穂日命」を祭っています。
大国主命の息子である事代主命は、日本神話の「国譲り」で重要な役割を果たした神様。天穂日命は、国譲りの際に最初に大国主命の説得に向かうも、大国主命に心服してしまい地上に3年も住み着いてしまったという神様です。そんな訳で、嬉横山天神の2柱は、国譲りに関わる神様のようです。「天神社」と名前がついているので、菅原道真ももちろん祭られています。
一方の伏見堂神社では「一言主神」を祭っています。一言主神は葛城山に住まう神様で、古事記と日本書紀などにも登場します。凶事も吉事も一言で言い放つ神とされ、雄略天皇や役小角とゆかりのある神様として知られています。
伏見堂神社のあった伏見堂地区から東にほぼ一直線に行くと、一言主を祭る「葛城一言主神社」があるのは、偶然なのでしょうか・・・
海社
こちらは「海社」というシンプル過ぎる名前の社で「市杵島姫命」を祭っています。市杵島姫命は女性の神様で、アマテラスとスサノオの間に生まれた女神様。安産祈願・商売繁盛、芸能、金運、勝負、豊漁、交通安全、五穀豊穣、などほぼパーフェクトなご利益があるそうです。
海の神様として厳島神社の主祭神としても知られていますが、海と全く縁のない富田林市で、なぜ市杵島姫命を祭っているのかは不明。
厳島社
海社のすぐ近くにあるの「厳島社」。祭神は「姜女龍王神」という聞き慣れない神様を祭っています。なぜ厳島神社という名前なのに「市杵島姫命」を祭っていないのか地味に謎です。
姜女龍王神という神様ですが、どのような神様かは不明。ただ近い名前の神様として「善女龍王」という神様が存在します。善女龍王は、雨乞いの神様としても知られており、南河内では河南町にある「蝦夷塚」でも祭られています。 ... 続きを見る
蝦夷塚|もしかして蘇我蝦夷の墓?~太子町~
白山社
厳島社の隣りにあるのが「白山社」で「白山権現」を祭っています。白山権現は、白山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神で、十一面観音菩薩を本地仏とする神様。
白山系の神社は、全国に2000社ほどあるといわれており、こちらの「白山社」もその一つのようです。なぜ彼方春日神社において白山権現が祭られているか不明ですが、山つながりだからでしょうか?
梶原大明神
赤い鳥居が連なるこちらの社は「倉稲魂命(うかのみたま)」を祭る梶原大明神。倉稲魂命は、伏見稲荷神社の主祭神で、一般的に「お稲荷さん」と呼ばれている神様です。
まとめ
今回は、富田林市彼方にある「彼方春日神社」を紹介しました。摂社の数が多く、祭られている神様のバラエティーが豊かだったことが、とても興味深い神社ではないでしょうか。神社の創建は以外謎に包まれた神社ですが、境内は木々に囲まれた静かな場所でとても神聖さを感じる空間でした。
彼方春日神社データ
名前 | 彼方春日神社 |
住所 | 大阪府富田林市彼方329 |
祭神 | 天児屋根命、金山彦命、経津主命 |
摂社 | 稲荷社、白山社、海社、厳島神社、伏見堂神社、嬉横山天神 |
旧社格 | 村社 |
式内社 | なし |
祭礼 | 10月 |
参考資料 | ・大阪府神社名鑑 ・郷土史の研究 ・富田林市史 |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄長野線「滝谷不動駅」下車。駅から少し南に歩き、府道202号森屋狭山線を左へ曲がります。道なりに歩くと石川があるので、渡りさらに進みます。道なりに歩きつづけると、左側に「ふたば旅館」と書かれた緑色の看板が見えます。ふたば旅館の手前に左に曲がる道があり「春日大社」の石碑が見えるのでそこを曲がります。道なりに歩いた先に、彼方春日神社が存在します。
・自動車
彼方春日神社には駐車場が存在します。国道外環状170号線「廿山南交差点」を東に曲がり、府道202号森屋狭山線に入ります。道なりに走り続け「ふたば旅館」と書かれた緑色の看板が見えます。ふたば旅館の手前に左に曲がる道があり「春日大社」の石碑が見えるのでそこを曲がります。道なりに歩いた先に、彼方春日神社が存在します。
周辺スポット
・滝谷不動尊
彼方春日神社から徒歩10分ほどの場所にあるお寺。日本三大不動の一つで、目にご利益があるといわれています。毎月28日の縁日には、多くの人で賑わいます。
・中佐備天満宮
... 続きを見る
中佐備天満宮|誰がいつ創建?謎だらけの神社~富田林市~
彼方春日神社から徒歩25分ほどの場所にある神社。小さな公園内にある小さな神社で、菅原道真を祭っています。
・彼方丸山古墳
彼方春日神社から徒歩25分ほどの場所にある古墳。新興住宅地にポツンと保存されている珍しい古墳です。
-
彼方丸山古墳|新興住宅地に残る円墳〜富田林市〜
...
続きを見る