藤井寺市には雷様が空から落ちてきて、神様により穴に閉じ込められたらという言い伝えのある神社があります。その神社は 伴林氏神社 (ともばやしのうじのじんじゃ)と言います。
そもそも雷様なんているのかという事は置いといて、一体何があって神社の穴に閉じ込められたのか…今回は藤井寺市にある伴林氏神社を紹介いたします。
伴林氏神社とは
伴林氏神社がいつ創建されたのかはよく分かっていません。ただ過去の記録によれば867年に神社名が登場しており、それ以前には創建されていたと考えられます。元々は大伴氏の支族である、伴林氏が祖先の高皇産霊神・天押日命・道臣命を祀るために創建されたと言われています。
大伴氏の系譜では高皇産霊神の子孫が天押日命、天押日命の子孫が道臣命、道臣命の子孫が大伴氏という繋がりになります。特に天押日命、道臣命の二人は武闘派の神様で知られており、その子孫である大伴氏は朝廷における軍事に関わる一族でした。
軍事に関わるといえば物部氏も軍事に関わる一族でしたが、物部氏は国軍全体を司るのに対して、大伴氏は親衛隊的な役割に分かれていたと言われています。
大伴氏は大伴金村の時代に全盛期を迎えますが、蘇我氏、物部氏の台頭により勢力に陰りが出てきます。その後も大伴旅人や大伴家持などの公卿を輩出しますが、866年の応天門の変により伴善男(大伴氏から伴氏に改称)が流罪となって以降は徐々に大伴氏は歴史の表舞台から消えていきます。
やがて大伴氏の祖先を祀っていた伴林氏神社も戦国時代には織田信長の河内侵攻により社殿が焼失。その後、伴林一族も途絶えてからは地元の産土神としてひっそりと祀られてきました。
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伴林氏神社と雷様
藤井寺に残る民話によると、伴林氏神社のある林村ではある時期から雷様が暴れ、落雷が頻発していました。そのため、田畑は荒れ、家は燃え、人も焼け死に、村人は「ゴロ」っという音がすると急いで家に逃げ帰ったそうです。
村から人影なくなり、調子に乗った雷様はさらにハイテンションに。しかし調子に乗りすぎた雷様はうっかり雲から足を踏み外して伴林氏神社の境内に落下して大穴をあけてしまいます。
以前より、調子に乗っている雷様を腹立たしく思っていた伴林氏神社の神様は、雷様が落ちた穴に境内にあった石塞ぎ、雷様を閉じ込めてしまいます。
雷様は大穴に閉じ込められてパニックになり、神様に許してもらうように懇願。もう二度と悪さをしないということで許してもらい、林村には雷が落ちることはなくなったという事です。
西の靖国神社と言われて
伴林氏神社には過去、先程の昔話とはガラッと違う側面がありました。五・一五事件で犬養毅首相が殺害され、戦争の色合いが強くなってきた1932年。日本の陸海軍により軍人勅諭下賜50年を記念した調査が行われました。
その調査の結果、伴林氏神社が日本で唯一、軍事を司どった大伴氏の祖神「道臣命」を祭っている神社だということが判明します。(実際には道臣命を祀るを祀る神社は他にもあるそうです)
その影響により伴林氏神社は少々強引な気もしますが「西の靖国神社」と称されるようになりました。この調査以降に伴林氏神社は境内が整備され、1940年には新社殿が完成します。その時に靖国神社から手水舎寄が寄贈されています。
目立たない地域の産土神社だった伴林氏神社ですが、思わぬ方向から脚光を浴びることになるとは歴史というものの奥深さを感じますね。
まとめ
戦後は西の靖国神社と称された反動か、伴野林氏神社は荒れ果てたそうです。しかし氏子達の熱心な努力により再建されたそうで、現在の美しい姿を留めています。2017年には「大伴家持生誕1300周年祭」という、気が遠くなるぐらい長い周年行事が行われています。
南河内にある神社仏閣は歴史の荒波にもまれ、翻弄された所が多いですが、伴林氏神社もその例外ではありませんでした。しかし地元の人達に守られ生き残り続けたというのは、いかに伴林氏神社が地元にとって大切にされていたかが伝わってきますね。
伴林氏神社データ
神社名 | 伴林氏神社 |
住所 | 大阪府藤井寺市林3-6-30 |
祭神 | 高皇産霊神 |
配神 | 天押日命・道臣命 |
摂社 | |
旧社格 | 府社 |
式内社 | 式内小社 |
祭礼 | |
参考資料 | ・大阪府神社名鑑 ・文化財シリーズ・藤井寺市の神社 |
アクセスと駐車場
最寄り駅は近鉄南大阪線土師ノ里駅になります。土師ノ里駅から旧170号線を北へ5分ほど向かいます。途中に允恭天皇陵の遥拝所がありますので、併せてお参りするのもいいかもしれません。
允恭天皇陵を過ぎたところで西に向かい住宅地を抜けていくと伴林氏神社があります。本当に住宅地のど真ん中にあり、少しわかりにくい場所に存在しますが、神社自体は結構広い神社なので見つけやすいと思います。
駐車できる場所がおそらく無く、近くにパーキングも見当たりませんので、車での参拝は控えたほうがいいかもしれません。
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