羽曳野市にある「西琳寺」をご存じでしょうか?近鉄南大阪線古市駅から10分程の住宅街にある静かなお寺です。西琳寺は、飛鳥時代に渡来系豪族により建立され、鎌倉時代には高僧として知られる「叡尊」の河内布教の拠点となった大寺院でした。
1000年以上の歴史をもつ西琳寺ですが、現在に至るまで幾つもの困難をくぐり抜けてきました。一体どのような困難を乗り越えて今があるのでしょうか?今回は波乱万丈の歴史をもつ西琳寺を紹介します。
最初の繁栄と没落
寺伝によれば6世紀後半もしくは7世紀前半に、西文氏の「西首阿志高」により創建されたといわれています。西文氏は、百済から渡来し論語などを日本に伝えた「王仁(わに)」の子孫で、河内国古市郡を本拠とする一族でした。
西琳寺は東西を結ぶ「竹内街道」と南北を結ぶ「東高野街道」が交わる要衝に存在。この重要拠点に寺を建立できるのは西文氏が朝廷との繋がりが深かったと思われます。
創建時の大きさは現在の敷地よりも一回りも広く、塔や金堂などの伽藍が存在しました。しかし、渡来系豪族の後ろ盾となっていた蘇我氏が没落し藤原氏が台頭。西文氏も歴史の表舞台から消え、西琳寺も寂れていきました。
二度目の繁栄と荒廃
荒廃していた西琳寺は、鎌倉時代に入り真言律宗の僧、叡尊により再建されます。叡尊は奈良西大寺を再建した僧で知られており、西琳寺は叡尊が南河内で布教をする拠点となりました。再興と共に西琳寺のすぐ南にある高屋丘に奥の院を建立。後に西琳寺に関わりのあった叡尊を含め、5人を供養する五輪塔が建てらました。
室町時代の後半に入ると、畠山義就と畠山政長の跡目を巡る争いをキッカケに応仁の乱が勃発。応仁の乱終結後も二人は、河内国の支配をめぐり激しく対立。
戦上手の畠山義就は南河内を支配下に置き、西琳寺の目と鼻の先にある高屋丘に高屋城を築城します。高屋丘にある安閑天皇陵は城の本丸に改造され、西琳寺奥の院と五輪塔は土塁のなかに消えていく事に…
更なる受難
戦国時代の近畿は「将軍」「管領」「守護」「国人「宗教勢力」などが入り乱れる混沌とした時代に突入。近畿では、四国から進出した三好家、浄土真宗の本願寺が台頭し、河内では守護である畠山家は没落。家臣である遊佐家が主家をしのぐ力を持ち始めていました。
織田信長が畿内に勢力を延ばしてくると、本願寺を中心に河内の各勢力は信長と対立。1573年に信長は東大阪にある河内若江城を攻め三好義継を攻め自害に追い込みます。
さらに1575年には羽曳野高屋城に籠る、遊佐信教と三好長康を攻撃。いわゆる「高屋城の戦い」です。
両軍は高屋城の不動坂口で大激戦。不動坂口から目と鼻の先にある西林寺は、兵火に巻き込まれ多くの建造物は消失していまいます。
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その後、明治時代に入ると神社と仏閣を分ける廃仏毀釈が起こり各地で多くの仏閣が破壊。西琳寺も巻き込まれてしまい、残された建造物はすべて喪失してしまいます。
現在の西琳寺
現在は、創建時より小さい姿で再建されています。
発掘調査により、過去の繁栄を伝える遺構がいくつか見つかっています。その一つが心礎と呼ばれる幅3m高さ2m巨石で、塔の柱を支える礎石。
この礎石の上には窪みがあり、仏舎利が納められていたそうです。この礎石の巨大さを考えれば、当時かなりの規模の仏塔がここにあったと考えられます。
高屋城築城により土塁に埋まっていた五輪塔は、昭和に入り住宅地を造成中に発見。現在は西琳寺の境内に移設されています。
境内はこぢんまりとしたサイズですが、庭にそびえる巨大な銀杏の木がとても印象的です。
まとめ
数々の困難を乗り越えた西琳寺ですが、今では静かな住宅地に囲まれています。少し奥まった所にあるのですが、住宅地の細い路地の先に美しい山門が目にはいると、現代と過去のコントラストに魅力感じてしまいます。
御朱印
御朱印 | 手書き |
初穂料 | 300円 |
西琳寺データ
住所 | 大阪府羽曳野市古市二丁目3-2 |
山号 | 向源山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 薬師如来立像 |
開祖 | 西文氏 |
札所 | 聖徳太子霊跡4番 |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄南大阪線「古市駅」下車。駅から東へ10分ほどの場所に存在します。
・自動車
西琳寺に駐車場はありません。古市駅周辺にコインパーキングがあるので、そこから徒歩がオススメです。
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