南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、羽曳野市誉田にある「東馬塚古墳」です。
東馬塚古墳は、応神天皇陵の陪塚として知られています。ただ、詳しい調査があまり行われていないため、謎の多い古墳と言えます。2019年7月に古市古墳群が世界文化遺産に登録され注目されていますが、東馬塚古墳もそのうちの一つ。
世界文化遺産に指定された古墳とはどんなものなのか?今回は、羽曳野市誉田にある「東馬塚古墳」を紹介します。
東馬塚古墳とは
東馬塚古墳は、一辺30m、高さ3.5mほどの方墳。出土した円筒埴輪の種類などから5世紀前半に築造されたと考えられています。
南側グランドフェンス工事の際に行われた調査で、円筒埴輪の出土と周濠の存在が判明。また、北側住宅開発の際に行われた調査では、円筒埴輪の他、家、蓋形(きぬがさ)、盾、大刀、人型、馬型の形象埴輪も出土しています。墳丘の詳しい調査がされていないため、被葬者や埋葬施設については分かっていません。
東馬塚古墳は「応神陵い号陪塚」に指定されており、宮内庁が管理しています。内濠と外濠を持つ応神天皇陵ですが、東馬塚古墳は、外濠に食い込むように築造。
東馬塚古墳は、応神天皇陵のすぐ近くにあり、築造時期も近いことから、応神天皇陵の陪塚であるといわれています。
ただ写真をみても分かるように、隣接する二ツ塚古墳も応神天皇陵に食い込むように築造されています。これは、二ツ塚古墳が応神天皇陵よりも前に築造されたからと考えられています。
東馬塚古墳も不自然に応神天皇陵に食い込んでいることから、応神天皇陵の陪塚ではなく、二ツ塚古墳の陪塚であるという説も。
東馬塚古墳が、応神天皇陵と同時期に築造されたのならば、外堤に隣して築造するはずです。それをワザワザ外堤に食い込むように存在するのは、外堤が造られる前から存在したとも考えられています。
実際のところは不明ですが二ツ塚古墳の被葬者がは、応神天皇にゆかりの深い人物といわれています。東馬塚古墳の被葬者が二ツ塚古墳の被葬者と関わりがあるとすれば、応神天皇にも近い人物であったのかもしれません。
現在の東馬塚古墳
この一帯は、茶山遺跡とよばれており、いくつかの古墳が存在していましたが、開発により消滅。また少し北側にも盾塚・鞍塚・珠金塚古墳の3古墳が存在しましたが、開発により失われています。
東馬塚古墳の隣はテニスコートになっており、フェンスに大きく「応神天皇陵」の看板が設置されています。実は見えているのは二ツ塚古墳ですが…
東馬塚古墳は、東・西・北を住宅に囲まれ、南側テニスコートのフェンス越しに全体像を把握できます。殺風景な姿で、案内板と宮内庁の石碑がなければ古墳とわからないかもしれません。
テニスコートに引かれたこちらの線は、応神天皇陵の外堤の位置を表しているとのこと。現在の東馬塚古墳は、本来の姿より小さくなっていますが、これを見ると東馬塚古墳が外堤に食い込むように存在したことがわかります。
世界文化遺産に指定される前は、案内板がありませんでしたが、いつの間にか設置されていました。
世界文化遺産に登録されてから何度か訪れている古墳ですが、一度も観光客が観に来ているところを見たことがありません。訪問した日も古墳を見ている人は誰もおらず…
ちなみに東馬塚古墳から応神天皇陵をはさんで西側には「西馬塚古墳」という兄弟分的な名前の古墳がありますが、何か繋がりがあるわけではないようです。
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄南大阪線「古市駅下車」。駅から西に向かい、国道170号旧外環線線にでます。旧外環状線を北に少し歩くと、左側に誉田八幡宮方面に続く東高野街道に入ります。道なりにあるくと、東高野街道の石碑がある二又にでるので左側の道を直進。少し歩くとテニスコートがあり、その駐車場の隣が東馬塚古墳となります。
・自動車
東馬塚古墳に駐車場はありませんが、目の前にコインパーキングが存在します。国道170号外環状線「西古室交差点」を東に曲がります。道なりに走り、西名阪自動車道の高架下をくぐったところを右折。そして最初の交差点を右折して道なりに進むとテニスコートがあり、右側にコインパーキングがあります。東馬塚古墳近くは道が非常に狭くなっているため注意が必要です。
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東馬塚古墳データ
古墳名:東馬塚古墳
宮内庁名称:応神陵い号陪塚
住所:大阪府羽曳野市誉田6丁目
墳形:方墳
一辺:30mm
高さ:3.5m
埋葬者:不明
築造時期:5世紀前半
埋葬施設:不明
参考資料:
・古市古墳群をあるく【久世仁士】
・羽曳野市史3
案内板
東馬塚古墳は応神天皇陵(誉田御廟山)古墳の東側に築造された、一辺30m、高さ3.5mの方墳です。これまで、この古墳は応神天皇陵古墳の外堤上に位置していることから、応神天皇陵の陪塚と考えられてきましたが、二ツ塚古墳の周濠東側の堤にも接していることから、二ツ塚古墳と密接な関係を持つ古墳の可能性も指摘されています。築造時期は古墳時代中期(5世紀前半)と考えられています。