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塚穴古墳(来目皇子墓)|聖徳太子の弟の墓〜羽曳野市〜

塚穴古墳(来目皇子墓)

南河内にある古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、羽曳野市はびきのにある「塚穴古墳(来目皇子墓)」です。




塚穴古墳は、聖徳太子の弟である「来目皇子」の墓とされています。聖徳太子は、よく知られた人物ですが、その弟というのはあまり知られていません。いったい来目皇子は歴史上どのような活躍をしたのか?

今回は、羽曳野市はびきのにある「塚穴古墳(来目皇子墓)」を紹介します。

塚穴古墳とは

塚穴古墳(来目皇子墓)

宮内庁名では来目皇子埴生崗上墓とも言われ「くめのみこはにゅうのおかのえのはか」と読みます。難読名の多い古墳ですが、これを一発で読める人は少ないでしょうか…ちなみに河内長野市にも塚穴古墳という同じ名前の古墳が存在します。




塚穴古墳は羽曳野市のほぼ中央部にある羽曳野丘陵に位置します。古墳の規模は、一辺53m、高さ10mの方墳。宮内庁により用明天皇の息子、聖徳太子の弟である「来目皇子」の墓と比定されています。

方墳

宮内庁が比定する埋葬者は古墳の築造時期と合わないものがいくつかあります。しかし塚穴古墳に関しては日本書紀と一致する所が多く、埋葬者は来目皇子でほぼ間違いないと言われています。

7世紀初めに築造されたと考えられ、発掘調査により大規模な外堀と巨大な土手が存在したことが分かっています。調査によると南側の土手は高さ2.5m、幅が16m。北側の土手に至っては高さ3m、幅はなんと38mもあったそうです。




そこから考えられる当時の全長は一辺130m。全国の古墳規模からすると特別大きい訳ではありませんが、終末古墳の中では「用明天皇陵(春日向山古墳)」や「聖徳太子廟(叡福寺北古墳)」も上回る規模になります。

用明天皇陵

用明天皇陵

この規模から塚穴古墳にはかなり高位の人物が埋葬されていることが裏付けられます。

来目皇子とは

来目皇子は朝鮮半島と関わりがあります。朝鮮半島では長年、高句麗、新羅、百済の三国が激しく争っていました。六世紀後半には日本が影響を及ぼしていた加羅や任那は新羅の侵攻により占領されます。




この頃、中国では隋は中国を統一し。高句麗に遠征し大敗北を喫しています。日本は数度の遣隋使を派遣したり、朝鮮半島へ出兵するなどしています。

朝鮮半島は高句麗、新羅、百済がそれぞれ覇を競い、中国、日本は朝鮮半島へ影響力の浸透を図っていました。

そうした情勢の下、勢力を伸ばしてきた新羅を警戒した百済は高句麗、倭国と連携し新羅に対抗。602年に征新羅大将軍として新羅遠征軍を率いたのが、来目皇子でした。




2万5千の兵を率いて出陣した来目皇子ですが、現在の福岡にあたる筑紫において病に倒れてしまいます。翌603年に死去し、土師一族である土師猪手により今の山口にあたる周防にて葬儀が行われています。

ちなみにこの土師猪手は来目皇子からみると甥にあたる聖徳太子の息子、山背大兄王襲撃事件にかかわり、山背大兄王側の反撃で討ち死にしています。

来目皇子の末裔は登美氏と名を改め、聖徳太子ゆかりの法隆寺を管理をしていましたが、寺の財産を私物化して訴えられ、すったもんだがあって失脚しています。(善愷訴訟事件)

現在の塚穴古墳

塚穴古墳(来目皇子墓)

塚穴古墳は少々わかりにくい場所にあります。塚穴古墳の北、西、南は宗教施設になっており、立ち入ることができません。

東はほとんどをマンションでふさがれており、古墳へ通じる入口が小さいため車で走っているとかなりの確率で見落としてしまいます。

塚穴古墳(来目皇子墓)

宮内庁管理のため当然中に入ることもできません。周囲を一周することもできないため1方向からしか近くで見ることが出来ません。

塚穴古墳(来目皇子墓)

塚穴古墳(来目皇子墓)

塚穴古墳(来目皇子墓)

南河内の古墳は住宅地に囲まれている古墳が多いですが、塚穴古墳はTOPレベルで全体を把握しにくい古墳かもしれません。もう少しなんとかならないかなと思いますが、なんともならなさそうですね・・・



アクセスと駐車場

・公共交通機関 パターン1

藤井寺駅

近鉄南大阪線「藤井寺駅」下車。駅南側から近鉄バスに乗車して「府立医療センター」下車徒歩約2分。

・公共交通機関 パターン2
古市駅

近鉄南大阪線「古市駅」下車。駅から西に直進。5分程歩くと、国道170号外環状線にでます。外環状線を渡り、更に西に直進。LIC羽曳野を通過し5分程歩くと少し大きめの交差点に出ます。交差点を左に曲がり2分ほど歩くと「あたらしい道本部」があり、隣にマンションが見えてきます。マンションを越えてすぐのところに、細い入口が見えてきます。徒歩約20分

・自動車

峰塚公園

塚穴古墳(来目皇子墓)周辺に駐車場はありません。徒歩10分程の場所にある峰塚公園に有料の駐車場があるので、そこから徒歩がオススメです。

周辺スポット

・野中寺

野中寺

塚穴古墳(来目皇子墓)から徒歩10分程の場所にあるお寺。聖徳太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされています。通称「中ノ太子」と呼ばれ叡福寺、大聖勝軍寺と共に「三太子」の一つとして知らています。

・峯ヶ塚古墳

峯ヶ塚古墳

塚穴古墳(来目皇子墓)から徒歩10分程の場所にあるお古墳。5世紀末に築造されたとされる前方後円墳。

・仁賢天皇陵

仁賢天皇陵(ボケ山古墳)

塚穴古墳(来目皇子墓)から徒歩15分程の場所にあるお古墳。仁賢天皇が祭られつとされる前方後円墳です。

・小口山古墳
小口山古墳

塚穴古墳(来目皇子墓)から徒歩10分程の場所にあるお古墳。峰塚公園内に存在する終末古墳の一つ。

塚穴古墳(来目皇子墓)データ


古墳名:塚穴古墳
宮内庁名:来目皇子埴生崗上墓
墳形:方墳
築造時期:7世紀初め
所在地:大阪府羽曳野市はびきの3丁目
全長:53m
高さ:10m
埋葬者:来目皇子
埋葬の施設:横穴式石室
古墳内立入:不可


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