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王仁の聖堂址|皇室の家庭教師も務めた学者の聖堂址伝説〜松原市・アクセス〜

2022 5/16
スポット 松原市
2018年8月1日2022年5月16日
王仁の聖堂址

王仁の聖堂址

古事記や日本書紀などにも登場する「王仁(わに)」と言う人物をご存知でしょうか?王仁は朝鮮半島から渡来し、日本に様々な文化をもたらした人物です。




松原市には王仁が聖堂を建て、学問を広めたと言う伝説の場所が存在します。今回は松原市にある「王仁の聖堂址」を紹介いたします。

王仁とは

王仁と百済の王族である辰孫王は応仁天皇に学識を請われて千字文1巻、論語20巻(10巻とも)を携えて朝鮮半島から日本にやってきます。

宋徽宗『草書千字文』 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で

千字文とは西暦500年頃、中国南北朝時代における梁の皇帝 蕭衍(しょうえん)が周興嗣(しゅうこうし)に命じて作らせた書物です。

千字文は1000文字全てに異なる文字が使われており、4文字を1句として250個の短歌で構成された韻文として知られています。

かつては子供に教える漢字の教材に使われたり、書の手本などにも利用されていたそうです。

一方の論語は紀元前500年頃に活躍した孔子の政治や礼などの思想を、弟子達がまとめた書物です。




応仁天皇が即位していた時期が200年後半から300年頃なので論語はわかりますが、千字文は時代が合わないですね…まあ、古代の歴史では辻褄が合わなくなるのはよくある事です…

そうした矛盾もありますが、日本ではまだ文字が確立していない時期であり、王仁の知識は日本文化の向上に大きく寄与したと考えられています。

その後、王仁は日本に定着し応仁天皇の息子である、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の家庭教師を務めています。王仁の子孫は代々朝廷に仕え、一族には羽曳野市にある西琳寺を創建した西文氏がいます。

西琳寺

西琳寺

ちなみに同行者の辰孫王の子孫も日本に定着しいくつかの一族に分かれ朝廷に仕えています。その中でも葛井寺を創建した葛井氏が有名です。

葛井寺

葛井寺

王仁の聖堂址

王仁が学問を広めたとされる「王仁の聖堂址」は松原市岡1丁目にある清堂池に存在します。現在は清堂池と呼ばれていますが、かつては聖堂池と呼ばれていました。




清堂池には池に突き出たように小さな岬があり、そこには出岡弁財天を祭る祠があります。そこが王仁の聖堂址と言われている場所になります。

王仁の聖堂址

王仁の聖堂址

出岡弁財天は慶長年間(1596年〜1615年)に焼失し寛永年間(1624年〜45年)に再建されたと記録に残っています。大坂夏の陣が1614年ですから、もしかするとその戦いに巻き込まれたのかもしれません。

王仁の聖堂址

王仁の聖堂址と記録にでるのは地理学者 並河誠所(なみかわ せいしょ)が1735年に編集した近畿の地誌である「五畿内志」に登場します。




五畿内志には聖堂池という名前は、池の傍に聖堂があったことが由来となっていると老父が言っていると記されてるようです。

王仁の聖堂址

聖堂があったとする痕跡は、案内板にある「この地は竹内街道に近く、付近には宮地、宮の谷、宮の内、馬渕、大門下などの小字名が残っている。」と、老父の言い伝えぐらいしか証拠はありません。しかし大昔より語り継がれるほど、この地域における王仁の存在感は大きかったのかもしれません。

王仁の聖堂址

他の王仁ゆかりの地

王仁の実在性には疑問もあるようですが、近畿地方で活躍した人物と言うことで、王仁ゆかりの地は大阪にいくつか存在します。

王仁の墓

一番有名なのは枚方市藤阪にある「王仁の墓」です。元々は「鬼の墓」と言い伝えられている墓がありましが、江戸時代に入り道俊と言う僧が「あれは王仁が鬼と訛ったものだ!」と主張します。その後、先程出てきた並河誠所が「あれは王仁の墓に違いない」として石碑を建てています。

その後、韓国においても王仁ついて知名度が上昇したことにより日韓交流を目的に史跡として整備がなされています。



王仁神社

大阪市北区にある素盞烏尊神社内には「王仁神社」があります。社伝によれば一本松の下に王仁の墓と伝えられ石棺があり、一本松稲荷大明神とも称されていたそうです。

永山古墳

永山古墳

作者 Saigen Jiro [CC0], ウィキメディア・コモンズより

それ以外にも堺市にある仁徳天皇陵の陪塚とされる永山古墳も王仁の墓と言う説があります。



素直に考えれば、王仁は仁徳天皇にも仕えていたので、永山古墳が墓じゃないのかと思ったりしますが、実際の所は誰にもわかりません。

和 歌

仁徳天皇が難波高津宮において即位した際、治世の繁栄を願って詠まれた「難波津」と言う歌があります。

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花

歌は聞いたことがなくても、「咲くやこの花」と言うフレーズは、大阪に住む人なら聞いたことがあると思います。この歌は王仁が歌ったと言われています。

まとめ

王仁が後世に語り継がれた理由としてはいくつかあるようです。まず王仁は日本に文字をもたらした最初の人物である事。次に明治以降になると朝鮮半島から日本に帰化し、天皇に仕えたと人物と言う事でクローズアップされた事などが考えられています。

政治的な思惑があるのは楠木正成の明治以降の扱いに少し似ている所がありますね。



アクセスと駐車場

・公共交通機関

河内松原駅

近鉄南大阪線「河内松原駅」から南に徒歩10分。

自動車
王仁の聖堂址に駐車場はありません。

周辺スポット

・正井殿

正井殿の正面01

王仁の聖堂址から徒歩5分ほどの場所にある神社。かつては「連理の松」と呼ばれる松の木が存在し、河内鑑名所記にも記載されていました。
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・柴籬神社

柴籬神社

王仁の聖堂址から徒歩10分程の場所にある神社。反正天皇が都を置いた場所ではないかといわれています。全国でも珍しい「歯」にご利益がある神社。
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・丹南天満宮

丹南天満宮

王仁の聖堂址から場所にある神社。菅原道真を祭る神社で、安土桃山時代に建てられた美しい本殿を持ちます。
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王仁の聖堂址データ

スポット 松原市
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