昔から地域を守り続ける神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は羽曳野市飛鳥にある「飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)」です。飛鳥戸神社は、平安時代に編纂された延喜式神名帳にも記載されている由緒ある神社。羽曳野市飛鳥周辺を拠点としていた飛鳥戸氏が、先祖である「昆支王(こんきおう)」を祭るために創建したと言われています。
飛鳥戸氏は一般的にあまり知られていませんが、大和朝廷と深いつながりを持つ一族です。そんな飛鳥戸氏は、なぜ羽曳野に神社を創建したのか?今回は羽曳野市飛鳥にある「飛鳥戸神社」を紹介します。
飛鳥戸氏とは?
飛鳥戸氏の祖である昆支王は、百済第21代王「蓋鹵王(がいろおう)」の子もしくは弟と言われている人物です。この時代の百済は、高句麗と激しい勢力争いを繰り広げていました。百済は倭と同盟関係にあり、蓋鹵王は、支援を求めて昆支王を倭へ遣わされます。
昆支王は倭国へ行った後、百済は高句麗の侵攻や政変などで蓋鹵王の系統が断絶してしまいます。倭国を治めていた雄略天皇は、昆支王の子に500の兵をつけて百済へ送り、王位につけたと言われています。
昆支王も百済へ戻ったようですが、残った昆支王の子供達は帰化し「飛鳥戸氏」と称しました。飛鳥戸神社は、飛鳥戸氏の祖である「昆支王」を祭るために創建されたとされています。
その後の飛鳥戸氏
飛鳥戸氏は百済系渡来人の筆頭として、台頭する蘇我氏と関係を深めました。羽曳野市飛鳥周辺には「飛鳥千塚古墳群」と呼ばれる100を超える古墳群が存在します。この古墳群は、飛鳥戸氏と関連する説もあり、飛鳥戸氏の影響力の大きさを知ることができます。
しかし蘇我氏滅亡し藤原氏が台頭すると飛鳥戸氏は下級貴族に甘んじます。しかし第50代桓武天皇の時代、飛鳥戸氏に再び光が差します。飛鳥戸氏である飛鳥部奈止麻呂の娘が、藤原内麻呂に嫁ぎ「藤原真夏」「藤原冬嗣」の人の子をもうけます。
その後、飛鳥部奈止麻呂の娘は、桓武天皇の後宮女官となりますが、桓武天皇の寵愛を受け皇子をもうけます。その寵愛の影響もあり、飛鳥部氏は「百済」という氏姓を賜り、飛鳥部奈止麻呂の娘は「百済永継」と称されました。
しかし桓武天皇との間に生まれた皇子は、百済永継の身分が低かったことから皇太子としては認めらませんでした。また、百済永継も妃として認められる事はなかったようです。
一方、藤原内麻呂との間にできた藤原真夏は順調に出世しますが、平城上皇に関わる「薬子の変」に連座して一時失脚。その為、藤原北家は藤原冬嗣が継ぎ、嵯峨天皇からの厚い信頼を得て藤原北家の礎を築きます。
飛鳥戸神社の社伝によると「平安時代初期には、子孫にあたる百済宿祢や御春朝臣たちの働きかけにより、貞観元年(859年)8月に無位から正4位下を授けられ、翌2年10月に「官社」に列し、元慶4年(880年〕8月には春秋の祭礼費として神領田1町が支給されている。」とあり、朝廷からも厚く遇されています。
また、延喜式神名帳においては「式内社(名神大)」という高い社格が与えられています。百済永継の死後も飛鳥戸氏は、一定の力を有していたことがわかります。
後に飛鳥戸氏がこの地で影響力を失った後、牛頭天王が祭られます。かつては行基が開基し、聖武天皇の勅願所とされた「常林寺」が存在していましたが、現在は廃寺となっています。明治に入ると素戔嗚尊を祭神とし、旧社格における「村社」に列します。
現在の飛鳥戸神社
飛鳥戸神社のすぐ南には、日本最古の官道である「竹内街道」が通っています。
竹内街道沿いには、船氏の野中寺や西文氏の西琳寺など、渡来系豪族の氏寺が多く建立。飛鳥時代は、渡来系豪族が非常に繁栄していたことが知ることがわかります。
上ノ太子駅から古い町並みが残る小径を歩くと、石の鳥居が見えてきます。鳥居には「奉納 元禄十五年」と刻まれており、江戸時代の1702年に置かれたようです。
ここから少し歩くいた先に、飛鳥戸神社が見えてきます。
飛鳥戸神社は、1907年(明治40年)に大祁於賀美神社など、周辺の神社と共に壺井八幡宮に合祀。1952年(昭和27年)に旧近くに復社されています。
過去の飛鳥戸神社の規模はわかりませんが、現在は、コンパクトなサイズに収まった神社になっています。
狛犬と手水舎。
階段を上ると、拝殿と狛犬が現れます。
拝殿奥には、広い敷地に本殿と稲荷神社が建てられています。近年整備されたようで、非常にきれいにされています。
脇には若木が植えられており、ゆくゆくは境内を覆う鎮守のもりになるのでしょうか。
飛鳥戸神社データ
神社名 | 飛鳥戸神社 |
住所 | 大阪府羽曳野市飛鳥1023 |
祭神 | 素盞嗚命 |
摂社 | 稲荷神社 |
旧社格 | 村社 |
式内社 | 式内社(名神大) |
祭礼 | |
参考資料 | ・大阪府神社名鑑 ・羽曳野市ホームページ ・神社案内板 |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄南大阪線「上ノ太子駅」下車。竹内街道沿いに西へ向かい、北上すると石造りの鳥居が見えてきます。そこから更に北へ向かうと「飛鳥戸神社」が見えてきます。駅から徒歩約10分。
・自動車
飛鳥戸神社には、駐車スペースがありません。上ノ太子駅近くにパーキングが数カ所あるので、そこから徒歩がオススメです。国道170号外環状線「羽曳野IC前交差点」を東に曲がります。道なりにしばらく進み、石川にかかる橋を渡ります。大きなカーブの先の先に南阪奈道路が見えるので、南阪奈道路沿いの道へ左折。道なりに進むと近鉄南大阪線「上ノ太子駅」が見えます。
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