南河内にある古墳を紹介していく「ぶら古墳シリーズ」。今回は、羽曳野市にある「峯ヶ塚古墳」です。百舌鳥古市古墳の一つで世界文化遺産登録リスト「44」に登録されています。
峯ヶ塚古墳とは
峯ヶ塚古墳は墳長96m、高さ10mの前方後円墳で、5世紀末に築造されたと考えられています。時期的に古市古墳の中では後半に造られた古墳。
調査により、後円部に竪穴式石室が見つかっています。石室周辺からは武器、武具、馬具、農具を始め、銀製の垂飾りや花形飾り、ガラス玉や石製玉類などの装飾品が見つかり、その総数は3,500 点以上と言われています。
峯ヶ塚古墳が築造された5世紀末は、前方後円墳の規模は縮小傾向にありました。その中で100m近い規模を持ち、多くの副葬品が納められていた事から、大王クラスが埋葬されていたと考えられています。ただ、実際には誰が埋葬されていたかはわかっていません。
峯ヶ塚古墳は「軽里」と呼ばれる場所にあります。「軽」という漢字がつく地名は高貴な人に由来する事があります。その事から重要人物が埋葬されている可能性は高そうです。
現在の峯ヶ塚古墳
現在の峯ヶ塚古墳周辺は「峰塚公園」として整備されています。古墳名では「峯」ですが公園名は「峰」なんですね。峰塚公園は「モニュメントゾーン」「郷土の森ゾーン」「文化イベント広場ゾーン」「管理施設ゾーン」から構成される5.3ヘクタールの広さを持ちます。
峰塚公園内には峯ヶ塚古墳の他に、小口塚古墳、小口東塚古墳と言う2つの古墳が存在します。どちらの古墳も、峯ヶ塚古墳の100年以上後に築造されている為、陪塚関係はないと考えられています。
峰塚公園北側にある謎のトーテムポール。モニュメントを置くならばここは埴輪ではないのだろうかと思いますが、割と斜め上をいった感じでトーテムポールです。まあ、こんな緩い感じなのも素敵なんじゃないでしょうか。
主役である峯ヶ塚古墳ですが、少しづつ整備されており、訪れた時も周濠を整備しているようでした。宮内庁が管理しているわけではありませんが、古墳内に入ることはできません。古墳の南側には階段が整備されており、特別な日には公開もされているようです。
古市古墳群は街中に存在する古墳が多く、中々全景を見わたせません。しかし峯ヶ塚古墳は周辺が整備されていることもあり、全景を見わたせるのがいいですね。
石室からは美しいアクセサリーなど多くの副葬品が発掘されているということでしたので、黄金のネックレスでも落ちていないか探してみましたが、残念ながら落ちていませんでした。
峯ヶ塚古墳データ
古墳名 | 峯ヶ塚古墳 |
住所 | 大阪府羽曳野市軽里2丁目 |
墳形 | 前方後円墳 |
全長 | 96m |
高さ | 10m |
築造時期 | 5世紀末 |
埋葬施設 | 竪穴式石室 |
被葬者 | 不明 |
参考資料 | ・案内板 ・古市古墳群を歩く【古市古墳群世界文化遺産登録推進連絡会議】 ・古市古墳群をあるく【久世仁士】 |
アクセス
近鉄南大阪線「古市駅」より西へ徒歩約15分程の場所にあります。少し寄り道すれば、日本武尊の陵と言われる「白鳥陵古墳」があるので寄っておきたいところです。また、周辺には仁賢天皇陵、清寧天皇陵、来目皇子埴生崗上墓など天皇クラスの陵墓も存在します。
峰塚公園には有料の駐車場も併設されていますので車でも問題ありません。