南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、羽曳野市にある「庭鳥塚古墳」です。
庭鳥塚古墳とは
庭鳥塚古墳は、全長60mの4世紀後半頃に築造された前方後方墳。2005年に工事の際に発見されたという、比較的新しく発見された古墳です。
発見前までは雑木林に隠れており、周囲からは墳丘が見えなかったようです。ただ、1972年と1975年に、大阪府教育委員会が調査したという記録があり、時間が経ち存在が忘れられたのかもしれません。
大阪府教育委員会の調査では「方墳」とされていましたが、その後の調査で前方後方墳と判明しました。ただ、南側の後方部は工事の際に削られて失われています。
調査では古墳を覆う葺石の痕跡は確認されましたが、埴輪の破片は全く見つからなかったそうです。工事の掘削時に埋葬施設である粘土槨と、組み合わせ木棺の痕跡が発見。
庭鳥塚古墳は平野部にある古墳にしては珍しく、未盗掘の古墳だとその後の調査でわかりました。その為、三角縁神獣鏡、鉄刀、鉄剣、勾玉などの多くの副葬品が棺内から見つかっています。
また、木棺周囲からも筒形銅器、鉄鏃、鉄剣、鉄刀、鉄ヤリ、籠手、銅鏃、鉄斧、鉄鎌、鋸なども発見され、当時を知る貴重な資料となっています。
庭鳥塚古墳は「東阪田遺跡」の中に存在しています。東阪田遺跡は旧石器時代から奈良時代までの遺物や平安時代の建物跡まで見つかっています。遺跡の中心を東高野街道が通っており、立地的にも重要な場所であったのかもしれません。
現在の庭鳥塚古墳
庭鳥塚古墳は旧170号線沿いに存在します。前から行きたいと思っていましたが、古墳がある住宅地へ入る道が狭く、車で行くのを少しためらっていました。
今回の訪問時は少し離れた場所に車を停め、歩いて古墳へ行きました。古墳の北側は竹が生い茂り奥は見えません。確かに全体がこの状態だと中に古墳があるとは気づかないかもしれません。
住宅地へ入る細い坂を上ると庭鳥塚古墳が見えてきます。庭鳥塚古墳の由来は、この辺りの地名に使われていた小字が「庭鳥塚」だった事から名付けられたそうです。小字の庭鳥塚はニワトリからきているようですが、なぜニワトリなのかはよくわかっていません。
古墳の東西は切り立った崖のようになっています。平地でこれほど盛り上がって目立つはずなのに、見つからなかったと言うのは奇跡的かもしれません。
古墳の南側が前方部になると思われますが、現在は掘削されて駐車場になっています。後円部もそれ程大きくなく、かつて60mもの規模があったようには見えません。まあ、どこからどこまでが古墳なのかもよくわかりませんが…
庭鳥塚古墳は4世紀後半に築造されたと考えられています。これは、南河内で初めての大王級古墳と言われる「津堂城山古墳」と同時期です。時期的に古市古墳群に入ってもおかしくありませんが、そうでないのは少し離れているからでしょうか?
埋葬者についてはよく分かっていませんが、副葬品から三角縁神獣鏡が見つかっています。ヤマト王朝は友好関係をもつ豪族に三角縁神獣鏡を贈っていたと言う説もある事を考えると、ヤマト王朝を支持する地元の豪族が埋葬されていたのかもしれません。
発掘により埋葬品が多く出土し、埋葬施設も判明しているので情報は非常に多い古墳です。案内板があっても良いのではないかなと思いますが、何で無いのでしょうね?
2019年3月17日追記
新たに案内板が設置されています。
庭鳥塚古墳データ
古墳名 | 庭鳥塚古墳 |
住所 | 大阪府羽曳野市東阪田81-2 |
墳形 | 前方後方墳 |
全長 | 60m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 4世紀後半 |
埋葬施設 | 粘土槨 |
被葬者 | 不明 |
参考資料 |
アクセスと駐車場
近鉄長野線「喜志駅」より徒歩約7分。庭鳥塚古墳周辺には駐車スペースはないので、駅前のパーキングに停めて徒歩が無難です。
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