若林神社|明応の政変にも登場した若林地区とは? 〜松原市〜

若林神社昔から地域を守り続ける神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。第19回は松原市若林にある「若林神社」です。




若林神社は、住宅地に囲まれた静かな神社ですが、かつては南河内の玄関口として軍事上の要衝でした。

若林神社周辺は、室町幕府を揺るがす「明応の政変」に登場する歴史的な場所でもあります。

明応の政変と若林神社にはどのような関りがあるのか?今回は、松原市にある「若林神社」を紹介します。

若林神社とは

若林神社
若林神社の詳しい創建は、よくわかっていません。ただ、鎌倉時代末期から南北朝時代の元弘~建武年間(1331~37)に深居神社から品陀別命(応神天皇)を勧請したと伝わっています。




近隣の「若林遺跡」からは、縄文土器、弥生土器、土師器、須恵器などが出土しており、古くから人々が暮らしていたことが分かっています。

明応の政変と若林

室町時代の1467年、河内国守護である畠山家の跡目争いをキッカケに、応仁の乱が勃発。1478年に応仁の乱は終結しますが、畠山家の跡目争いは河内国を中心に続きます。




畠山政長は、河内国守護に任命されていました。しかし敵対する畠山義豊(基家)が、羽曳野市にある高屋城を拠点に河内を支配しており、これを排除したいと考えていました。

安閑天皇陵
高屋城の本丸のあった安閑天皇陵

畠山政長は、将軍である足利義材に頼み、畠山義豊討伐の許可を得ます。この討伐は、足利義材が自ら出陣し、多くの大名が召集される大規模な討伐になりました。




出陣した足利義材と畠山政長は、現在の平野区にある正覚寺に本陣を置きます。

正覚寺城跡
旭神社内にある正覚寺城跡碑

若林神社が存在する場所は、正覚寺と高屋城の中間地点にあたり重要な拠点でした。高屋城を攻める前線基地として討伐軍は若林に兵を配置したと言われています。若林神社

現在は、大和川の付け替えにより若林神社の北側には川が流れていますが、当時は鎮守の森が広がる場所だったようです。

若林に軍を置いたことは記録にありますが、実際に若林神社に軍が駐留したかについてはわかっていません。しかし若林神社は、周辺で少し高台にあり、広い敷地を持つ神社に駐留していた可能性は高いと考えられます。




若林のすぐ東には、高屋城の出城である小山城が存在します。小山城は、現在の津堂城山古墳に存在した城で、畠山義豊の家臣である安見氏が代々城主を務めています。

津堂城山古墳
小山城があった津堂城山古墳

高屋城を攻めるためには小山城を落とす必要があり、若林はまさに最前線といえます。

将軍自ら大軍を率いて攻められた畠山義豊は、風前の灯火と思われました。

この状況を憎らしげに見つめていたのが、管領である細川政元でした。細川政元は、足利義材と折り合いが悪い上、ライバルである畠山家が統一される事も恐れていました。

細川政元
細川政元(Wikipediaより[Public domain])
足利義材と畠山政長がこの合戦に勝利すると、両者の勢力が大きくなってしまいます。そこで細川政元は、足利家から別の人物を将軍に担ぎ出し、クーデターを実行。

クーデターを成功させた細川政元は、足利義材を将軍から引きずり落とし、畠山政長の討伐を命じます。




一転、討伐される側に陥った足利義材と畠山政長は、正覚寺に籠城するも陥落。足利義材は幽閉、畠山政長は自害という結末を迎えました。

畠山政長墓
平野区にある畠山政長の墓

この戦いの後も、若林は高屋城攻めの最前線として何度も軍が駐留しています。1547年と1560年の三好長慶による高屋城攻めでも、若林に三好軍が駐留しています。

若林は、北から南河内を攻める、重要な拠点であったことがうかがえます。

現在の若林神社

若林神社は、松原市の北側に存在します。若林地区は、江戸時代の大和川付け替えにより村が南北に分断されました。かつて八尾南周辺は「北若林地区」として松原市に属していましたが、不便ということで、1964年に八尾市に編入されています。




そんな影響もあり、昔は軍事上の要衝だった若林も、現在その面影は全くありません。住宅地に囲まれた狭い路地を抜けると、鳥居が見えてきます。若林神社

この辺りが若林地区で少し高台ということですが、あまりそのような印象はありません。

境内で目を引くのは4本の大木で、2本のイチョウと、2本のクスノキ。いずれも幹回りの直径は1m、高さ15~16mにおよびます。若林神社

こちらは、拝殿前にある2基の灯篭と狛犬。どちらも年代を感じさせます。拝殿前には由来が書かれた案内板がありますが、風化して全く読めません。若林神社若林神社

拝殿は一般的な造りです。本殿は境内からは見えませんが、造りは一間社春日造とされています。若林神社

本殿には御幣を収納された木箱があり、その箱書きには1730年の墨書が納められています。この墨書より、江戸時代中期に本殿が築造されたと考えられています。




若林神社は、宮司さんが常駐しない無人の神社のため、御朱印はないようです。

境内はキレイに掃き清められており、清潔感があります。戦乱や地区の分断を乗り越えながら、地元の人々に大切にされていると感じる神社でした。若林神社

アクセスと駐車場

・公共交通機関
近鉄南大阪線「恵我ノ荘駅」より北へ徒歩約35分。または、OSAKAメトロ谷町線「八尾南駅」より南へ徒歩約35分。




・自動車
若林神社周辺に駐車スペースはありません。大堀周辺にいくつかのコインパーキングが存在するので、そちらから徒歩がオススメです。

周辺スポット

・深井神社
深居神社若林神社から徒歩約15分の場所にある神社。若林神社は、深居神社より八幡神を勧請したとされています。

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・大堀八幡神社
大堀八幡神社若林神社から徒歩約15分の場所にある神社。大堀八幡神社も、深居神社より八幡神を勧請したとされています。

・熱田神社
熱田神社若林神社から徒歩約20分の場所にある日本武尊を祭る神社。境内には、キリシタン灯篭という珍しい灯篭が存在します。

・屯倉神社
屯倉神社若林神社から徒歩約35分の場所にある神社。菅原道真にゆかりの深い神社として知られています。

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若林神社データ


住所:松原市若林1-6-30
祭神:品陀別命(応神天皇)
摂社:なし
旧社格:村社
式内社:なし
参考資料:松原の神社、松原市ホームページ