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鹿谷寺跡|日本で唯一の石窟寺院?~太子町~

2025 4/30
太子町 太子町の神社仏閣
2020年4月14日2025年4月30日
鹿谷寺跡

石窟寺院と言えば中国の「雲崗石窟」などが有名ですが、日本国内で石窟寺院はあまり知られていません。しかし大阪府南河内郡太子町には「鹿谷寺跡(ろくたんじあと)」という珍しい石窟寺院跡が存在します。

木造の寺院が主流である日本において、奈良時代にまでさかのぼる石窟寺院は、非常に珍しいとのこと。日本で類を見ない、石窟寺院とはどんなところなのか?今回は南河内郡太子町にある「鹿谷寺跡」を紹介します。

鹿谷寺とは

鹿谷寺跡は、大阪府と奈良県の県境にある二上山存在します。古くから美しい山容へ日が沈んでいく様子から、神聖な山として崇められてきました。もともと火山だった二上山には、火山灰が堆積してできた「凝灰石」が多く存在しています。二上山の北東にある「屯鶴峯」は、真っ白な凝灰石が山肌を覆っています。

屯鶴峯
屯鶴峯

比較的柔らかい凝灰石は加工しやすいため、古墳の石室や石棺、寺院や宮殿の基壇化粧石などに利用されました。

徳楽山古墳
二上山の凝灰石を用いて作られた「徳楽山古墳の横口式石槨」

二上山は、良質な凝灰石を産出したため、有名な「高松塚古墳」にも二上山産の凝灰石が使われたといわれています。そのため二上山には、石切場の跡が今も残されています。鹿谷寺跡も、石切場跡を利用して建てられています。寺の中心部は、石切場跡の尾根の一部を南北に10mほど平削して造成しています。

鹿谷寺跡

現在は「凝灰石製の十三重多層塔」「岩窟に線刻された三尊坐像」「小岩塊に浮彫された仏立像」「方尖碑状の小塔」が遺構として存在しています。

鹿谷寺跡

鹿谷寺が創建された詳しい時期は不明です。ただ出土物から8世紀頃の奈良時代と考えられています。鹿谷寺という名前も、創建時からの名前ではなく、鹿谷という地名にあるお寺跡ということでつけられたようです。鹿谷という地名は「鹿がたんと住んでいた谷」や「六つの谷がある場所」とも言われていますが、確かなことはわかっていません。

現在の鹿谷寺跡

二上山は、雄岳と雌岳という2つの峰で構成されています。鹿谷寺跡は、雌岳の中腹に建てられています。体力に自信がないので、二上山の登山口までは車でむかいます。鹿谷寺跡までは、駐車場から徒歩約15分の距離。

二上山は「大阪みどりの百選」にも選ばれおり、豊かな自然を味わえまる山です。気候のいい時期は、駐車場もすぐに満車になる人気スポット。登山口には、なぜかニワトリがいました。誰が飼ってるのでしょうか…

鹿谷寺跡

少し歩くと道が二手に分かれています。直進するとメイン通りですが、鹿谷寺跡は、左の細い山道から向かいます。

鹿谷寺跡

方尖碑状の小塔

しばらく登ると、右側の狭い平地に突起状の岩が存在します。前しか見ていないと見落としてしまいますが、鹿谷寺跡の一つ「方尖碑状の小塔」です。

鹿谷寺跡

この小塔も凝灰石を削りだして造られており、地面から生えているように見えます。ただ、これが何の意味があるのかは不明。この付近からは奈良時代の土師器、須恵器が出土しています。

また、奈良時代に鋳造された日本最古の貨幣「和同開珎(わどうかいほう)」も見つかっており、周辺には僧侶が住んでいた宿坊があったとの説もあります。ただ、周りは崖なのであまりウロウロすると危険です。

鹿谷寺跡

展望台

小塔から少し登ったところが鹿谷寺跡。目の前には、凝灰石の岩壁がそびえており、もともとこの辺りはすべて岩場だったようです。

鹿谷寺跡

右に行くと鹿谷寺跡ですが、左の細い道をいくと展望台が存在します。凝灰石を削った細く長い階段は、すこしな異質な雰囲気。

鹿谷寺跡

展望台からは、西には大阪平野、東には雄岳が望めます。

二上山
二上山

小岩塊に浮彫された仏立像

展望から戻り、凝灰石の岩壁の脇に「小岩塊に浮彫された仏立像」と思われる岩が存在します。ただの岩にしか見えませんが、資料の写真に近い形をしているので、たぶんこの岩と思われます。

鹿谷寺跡

資料には、剥落してほぼ判別できないと記載されていましたが、実際に見ても何が彫られているかはわかりません。おそらく、ほとんどの人が史跡と気づかないでしょう。

十三重多層塔

こちらが、鹿谷寺跡の主要部の一つ「十三重多層塔」。高さは5.5mで、山の一部である凝灰石を掘り残して作られています。

鹿谷寺跡

柔らかい石のため、これほど巨大な石塔が作れたのでしょう。ただ柔らかいため、風化が進み、全体的に丸みを帯びています。

鹿谷寺跡
鹿谷寺跡

太子町のお隣、河南町にある「近つ飛鳥博物館」には、復元された十三重多層塔が置かれています。創建時の姿を予想して作られており、築造時にあったとされる先端の九輪や、現在は土砂で埋もれて見れない基壇も再現。

鹿谷寺跡
鹿谷寺跡

塔の南面にある舎利穴。この穴に舎利が納められていたようです。

鹿谷寺跡

柔らかく加工しやすいとはいえ、これほど巨大石塔を作るのは、かなりの労力を必要としたでしょう。

岩窟に線刻された三尊坐像

十三重多層塔の隣にある「岩窟に線刻された三尊坐像」。岩窟といっても凝灰石の岩壁を2~3mほどの浅く削ったものです。

鹿谷寺跡

石窟内には、三体の如来坐像が線で刻まれており、金堂の役割を果たしたとも言われています。

鹿谷寺跡

3体の如来坐像は、上半身は風化して判別が困難です。しかし下半身は、蓮華座などがハッキリと見られます。

鹿谷寺跡

隣にこれだけ立派な石塔が彫られているのに、本尊は、線刻というのも少し釣り合っていない気もします。技術的には立派な磨崖仏があっても不思議ではないところです。

謎多き鹿谷寺跡

石窟の横にある鹿谷寺跡の案内板には、創建時のイメージが描かれています。当時は、宿坊もあり華やかな寺院だったようです。

鹿谷寺跡

よく見ると、イラストの右下にはニワトリが描かれています。登山口にいたニワトリはこの伏線だったのか…

鹿谷寺跡

鹿谷寺の記録は、残っておらず、誰が創建したかは、わかっていません。ただ日本になじみのない大陸風の石窟寺院であることから、渡来系豪族が関わったとも考えられます。

鹿谷寺跡の近くには河内国と飛鳥を結ぶ「竹内街道」が存在。竹内街道は、飛鳥時代に遣隋使の使者や留学生が往来した、日本最古の官道として知られています。

竹内街道

異国文化の行き交う場所にあり、石窟寺院という大陸文化を受け入れやすい場所だったのかもしれません。廃寺となった理由もわかっていません。創建氏族の没落、都が奈良から京都へ遷都したため、立地的な価値が低下したなどが考えられます。

もう一つの石窟寺院「岩屋」

二上山には、鹿谷寺跡と同時期に作られた「岩屋」と呼ばれる石窟寺院も存在します。鹿谷寺跡から15分ほどの場所にあり、2つの石窟から構成されています。

岩屋

大きい方は、幅約7m、高さ約6m、奥行き約6mと、鹿谷寺跡と比べるとかなり大きめ。

岩屋

石窟の中央には、鹿谷寺跡の十三重多層塔と同じく、岩塊を彫り残して作られた「重層塔婆」が存在します。現在の重層塔婆は、基壇および三重の塔部で構成されていますが、上部は破損しているため本来の高さはわかっていません。

岩屋

北壁上部には三尊像が彫られていますが、風化が激しく目視では確認できません。北壁下部には、石塔や石仏が存在しますが、鎌倉時代から江戸時代にかけて置かれたものと考えられています。

岩屋

もう一方の石窟は、間口と高さ1.5m、幅2mほどの小さいサイズ。こちらにも仏像が彫られているそうですが、風化が激しく確認できません。

岩屋

岩屋も鹿谷寺跡同様に記録に残っておらず、誰が創建したかについては、わかっていません。鹿谷寺跡や岩屋は、江戸時代末期に発行された「河内名所図会」にも記載されており、古くから観光名所だったようです。

鹿谷寺跡

岩屋の前横たわる「岩屋杉」と呼ばれる大きな杉。

岩屋杉
岩屋杉

樹齢600年もの杉でしたが、1998年の台風により倒壊したものです。道を塞ぐように倒れており、登山する人たちは、巨木の下を楽しそうにくぐっていました。

鹿谷寺跡データ

住所大阪府南河内郡太子町大字山田
創建時期奈良時代(平安時代との説もあり)
開祖不明
参考資料太子町史、科長の里のむかしばなし

アクセスと駐車場

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