南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、富田林市佐備にある「佐備神社(さびじんじゃ)」です。佐備神社は、延喜式神名帳に記載された、由緒ある式内社として知られています。佐備神社の創建は、古代豪族「忌部氏」もしくは「佐味氏」との説がありますが、詳細は分かっていません。2つの豪族と佐備神社には、どのような関係があるのか?今回は、富田林市佐備にある「佐備神社」を紹介します。
創建は忌部氏?それとも佐味氏?
社伝によると佐備神社は、858年に創建。佐備神社一帯は「忌部氏(いんべうじ)」が治めていたことから、忌部氏の祖神「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」を祭ったといわれています。忌部氏は「新撰姓氏録」において「神別」に属す古代氏族。主に祭祀に関わる豪族ですが、奈良時代に入ると同じ祭祀を担う「中臣氏」に押されて衰退していきます。
平安時代に入ると「斎部」と氏を改めますが、勢いを取り戻すことはりませんでした。ただ、地方には一定の勢力を残したようで、佐備神社でも天太玉命を祭り続ける事ができたのかもしれません。
一方で、佐備神社の由緒によると「忌部氏の流れをくむ佐味氏の居住地」と記載されています。佐味氏は、崇神天皇の息子「豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)」を祖とする豪族。天皇家を祖とする「皇別」に属し、「神別」である忌部氏とは、祖先を異にします。
佐味氏は、672年に起こった「壬申の乱」に登場。日本書紀には、佐味宿那麻呂という人物が、大海人皇子軍として大友皇子軍と戦ったと記録されています。忌部氏は、神別系の豪族で祖神は「天太玉命」。佐味氏は、皇別系の豪族で祖神は「豊城入彦命」。忌部氏が衰えて、佐味氏がこの地を治めたとすれば、佐備神社の祭神も「豊城入彦命」になりそうですが、そのような形跡はありません。
また佐備神社から少し南には「咸古佐備神社」が存在しました。現在は、富田林市龍泉にある「咸古神社」に合祀されていますが、咸古佐備神社も「天太玉命」を祭っていました。社名に「佐備」とついていることから「佐備神社」とつながりがあったと考えられます。
近接する二つの神社で「天太玉命」を祭っていたということは、この一帯は忌部氏の影響力の強い土地であったと思われます。また、古い文献によると「天太玉命・松尾大神」を祭っていたと記録されており、忌部氏による創建の可能性が高いのではないでしょうか。
創建後の佐備神社ついてはよく分かっていませんが、天暦、長寛、正平、文安、元禄、明治時代の複数回にわたりに改修されています。明治5年に村社に列し、大正時代に神饌幣帛料供進神社に指定。現在に至ります。
祭神の天太玉命について
主祭神である「天太玉命」は、天照大神が天の岩戸に隠れた際に登場する神様。記紀よると、天の岩戸に閉じこもった天照大神について、神々が対策を話し合う場に、天太玉命が登場します。天太玉命は、天照大神を外に連れ出す方法について占う場面で活躍。この時もう一人占っていた神様が「天児屋命(あめのこやねのみこと)」です。
天児屋命は、忌部氏のライバルである中臣氏の祖神にあたります。忌部氏と中臣氏が大和王権において祭司を担ったのは、記紀における岩戸隠れ伝説が背景があったのではないでしょうか。
現在の佐備神社本殿には、中央に「天太玉命」、左相殿に「松尾大神」、右相殿に「春日大神」を祭っています。何度か改修されている本殿ですが、長らく右相殿に祭られている神様は不明でした。
しかし、寛文6年の修理木札に「左松尾大明神、右春日大明神」と記されていたことから、右相殿には春日大神が祭られていることが判明。延喜式神名帳(927年)には、1坐を祭っていたと記載されており、松尾大神と春日大神は、のちに祭神として加えられたようですが、その経緯についてはよく分かっていません。
現在の佐備神社
佐備神社は、金剛山から延びる一丘陵の北端部に存在。佐備神社のすぐ西を流れる佐備川沿いには「佐備川西岸遺跡」が見つかっています。この遺跡からは、弥生時代から中世にかけての遺構が見つかっており、古くからこの地に集落が存在したようです。
富田林市南東部は、谷あいにあり比較的自然豊かなエリア。佐備神社は、その谷あいの入口付近に存在します。佐備神社の後背は山になっており、ここから南にかけて山々が連なっています。佐備地区の南には「甘南備(かんなび)地区」があり、神の領域を表す「神奈備」がなまったとされています。佐備神社も神の住まう地として、この場所が選ばれたのかもしれません。
こちらが佐備神社の正面。
鳥居をくぐると足元に、階段の上を見つめている二体の子供狛犬を発見。二匹の狛犬の見つめる先には、親狛犬が下を見つめています。
これは何だと思ったら「頑張れ 獅子っ子」と言う像。獅子は我が子を何度も千尋の谷に落とし、苦難に打ち勝つ強い獅子を育てると言う逸話からつくられたそうです。
どうやら、子獅子の頭を撫でて「頑張りや 僕(私)も頑張るから」と頭を撫でてから上に登るとのこと。子供狛犬をあとに、階段へ。高台の神社ではよくあるパターンですが、これでもかというぐらい急角度な階段。1段の幅が狭いので、足を滑らさないように慎重に上ります。
階段上にいる親獅子。上から子獅子を厳しい表情で見守っています。確かに頑張らないとしんどい階段でした。
階段を上りきると何故か百度石が存在。階段のギリギリ前に百度石を置くのは、珍しいかもしれません。ボンヤリと百度参りしていると階段から転げ落ちそうです。
階段の先には拝殿があり古い絵がいくつか飾られています。
拝殿の横にある手水舎。水盤、龍、木造の屋根と、非常にオーソドックスなタイプ。
本殿前にある古い狛犬。
拝殿の正面にある三社造りの本殿。基本的に壁で囲われているので、あまりよく見えません。こちらの本殿にて天太玉命、松尾大神、春日大神が祭られています。
こちらは、素戔嗚尊を祭る天神社。もともと天神社は「大将軍祠」という名前で、嶽山に楠木正成が建てたものでした。楠木正成は、嶽山に嶽山城(龍泉寺城)を築き、大将軍祠を城の鎮守としたそうです。
嶽山城は、南北朝時代から室町時代にかけて、何度も激しい戦いが繰り広げられました。もしかすると、戦火から逃れるために、こちらに合祀されたのかもしれません。
その他にも諏訪神社、撞賢木神社、籠守神社、寒川神社、加茂神社、菅原神社などの摂社があるようですが、壁の内側にあり確認できませんでした。神社の南側にも入口があり、佐備地区の集落につながっています。入口付近には、丸い石が詰められた祠がありますが、おそらく賽の神ではないでしょうか。
まとめ
今回は、富田林市佐備にある「佐備神社」を紹介しました。延喜式神名帳にも記載された式内社ということで、かなり古い歴史をもつ神社です。創建時から天太玉命が祭られていたと思われますが、創建したのは忌部氏なのか佐見氏だったのか興味深いところです。
佐備神社と神楽祭
佐備神社では神前神楽を毎年4月に開催しています。佐備神社ホームページによると、京阪神の神社には巫女神楽として「浪速神楽」が伝承されており、佐備神社では「冨永流浪速神楽」として、約28座を伝承しているとのこと。
佐備神社データ
住所 | 大阪府富田林市佐備467 |
祭神 | 天太玉命、松尾大神、春日大神 |
摂社 | 諏訪神社、撞賢木神社、籠守神社、寒川神社、加茂神社、菅原神社、天神社 |
旧社格 | 村社・神饌幣帛料供進社 |
式内社 | 式内小社 |
祭礼 | 1月1日:元旦祭 2月3又は4日:厄除祈願祭(節分) 4月4日:神楽祭 6月30日:夏祭(夏越祓) 10月17日:例祭秋祭 11月23日:新嘗祭(新穀感謝祭) |
参考資料 | ・大阪府神社名鑑 ・富田林市史 |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄長野線「富田林駅」下車。金剛バス「富田林循環」もしくは「東條線」に乗り「下佐備停留所」下車すぐ。
・自動車
佐備神社には、駐車場が存在します。ただ、周辺の道が非常に狭いため注意が必要です。
外環状170号線「新家交差点」を東へ曲がります。しばらく直進し「板持南交差点」を右折し、府道201号甘南備川向線を南に直進します。道なりに進むと「ローソン」が見えるのでそれを過ぎてすぐを右折。細い住宅地を道なりに進むと佐備神社が存在します。
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