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軽羽迦神社|名前の由来は仮の墓?軽の墓?~羽曳野市~

2023 11/05
羽曳野市 羽曳野市の神社仏閣
2021年5月15日2023年11月5日
軽羽迦神社の社殿3

南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、羽曳野市軽里にある「軽羽迦神社(かるはかじんじゃ)」です。少し変わった名前の神社ですが、その由来は地名から来ていると言われています。それはどのような由来なのか?今回は、羽曳野市軽里にある「軽羽迦神社」を紹介します。

社名の由来

現在の軽羽迦神社は、戦後に建てられたものですが、もともと「白鳥陵古墳」の近くに祠があったといわれています。

白鳥陵古墳(日本武尊陵)
白鳥陵古墳(日本武尊陵)

明治時代に、誉田八幡宮に合祀されますが、昭和に入り現在地に復社。軽羽迦神社一帯の地名は「軽里」ですが、昭和初期まで「軽墓」と呼ばれていました。社名の「軽羽迦」も軽墓が由来と考えられます。

軽墓は、仮の墓?軽の墓?

軽墓という変わった地名ですが、その由来には2つの説があります。一つ目の説は「日本武尊の仮の墓説」です。軽里地区にある白鳥陵古墳は、古代の英雄「日本武尊」の陵といわれています。伊勢で亡くなった日本武尊は、その地で埋葬。現在の三重県亀山市にある「能褒野王塚古墳」がその陵とされています。

日本武尊像
大鳥大社にある日本武尊像
田英 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で

日本書紀によれば、埋葬された日本武尊は、この陵から白鳥となり、大和方面に飛び立ちました。白鳥は、大和の「琴弾原」と河内の「旧市邑(羽曳野市古市)」にとどまり、天に昇ったといわれています。最終的に天に昇ってしまったので、それぞれの墓には誰も埋葬されていないことに。そのような経緯から「仮の墓」となり、それがなまって「軽墓」となったとの説があります。

允恭天皇の長男、木梨軽皇子の墓説

二つ目の説は「木梨軽皇子の墓説」です。第19代の允恭天皇の長男である「木梨軽皇子」は、有力な皇位継承者の一人でした。しかし木梨軽皇子は、実の妹である「衣通郎姫」と恋仲に。当時、異母兄弟姉妹での婚姻は行われていましたが、同母での婚姻は忌むべきものとされていました。

最終的に二人の仲が発覚し、木梨軽皇子は失脚。木梨軽皇子は、伊予に流されたとも、穴穂皇子(後の雄略天皇)に殺害されたともいわれています。木梨軽皇子の墓は不明ですが、白鳥陵古墳が木梨軽皇子の墓との説があります。つまり「軽の墓」です。江戸時代には、白鳥陵古墳が木梨軽皇子の陵と認識されていたとも。

父の允恭天皇陵は隣接する藤井寺市に存在し、白鳥陵古墳は允恭天皇陵に近い時期に築造されたと考えられています。木梨軽皇子は、伊予で亡くなったとされていますが、父の墓にも近く時代的にも近い白鳥陵古墳が、木梨軽皇子の墓との説は、十分考えられます。

允恭天皇陵
允恭天皇陵

どちらの説が正しいかは不明ですが、古くから高貴な人物が祭られた土地として、多くの人に認識されていたようです。

現在の軽羽迦神社

古市駅から、国道170号旧外環状線を南へ歩くと「仁賢天皇・清寧天皇・日本武尊御陵参拝道」という石碑が見えてきます。石碑を右折すると、日本最古の「竹内街道」へ。

白鳥陵古墳(日本武尊陵)

古市古墳群は、竹内街道沿いに多く築造されており、街道をゆく人々に大和王権の力を誇示するのも狙いだったとのこと。

竹内街道

竹内街道を少し歩くと、左側に見えてくるのが日本武尊の陵である「白鳥陵古墳」。この古墳には、いくつか名前があり、別名「前ノ山古墳」「軽里大塚古墳」ともいわれています。

白鳥陵古墳(日本武尊陵)

宮内庁により日本武尊の陵に比定されていますが、古墳が築造された時期と日本武尊が活躍した時期に大きなズレがあるようです。そのため、実際は日本武尊の墓である可能性は低いとのこと。竹内街道をさらに西に歩いていくと、右側に軽羽迦神社が見えてきます。境内は、あまり広くありませんが、入口の鳥居は立派で大きなもの。

軽羽迦神社の鳥居
軽羽迦神社の百度石

境内は明るく、非常に清潔に保たれています。地面が白い砂地になっているのも、明るい雰囲気の一つかもしれません。

軽羽迦神社の全景

境内の奥には、摂社として稲荷神社が存在。

軽羽迦神社にある稲荷神社

本殿右側には、社務所のような建物もありますが、平時は無人のようです。本殿前には「鳥居」「灯篭」「手水舎」がまとめてセットで置かれています。少し古そうな鳥居には銘文が彫られていますが、内容はよくわかりませんでした。

軽羽迦神社の社殿
軽羽迦神社の鳥居の銘文
軽羽迦神社の手水舎

こちらが軽羽迦神社の本殿になります。壁に囲まれているため、社殿の全体は見ることはできません。

軽羽迦神社の社殿

ちなみに主祭神は、天照大神を祭り、蔵王権現と熊野権現を合祀。社名が日本武尊にゆかりがありそうな上に、もともとは白鳥陵古墳の隣りにあったなら「日本武尊」を祭っていてもよさそうですが・・・それにしても、神社名を「軽墓神社」ではなく「軽羽迦神社」としたのは、名前に「墓」が入るのを嫌ったからなんでしょうか?

まとめ

軽羽迦神社の社名碑

考えてみると、白鳥陵古墳の近くに祠があったという以外、謎に包まれた神社といえます。日本武尊にゆかりがありながら、天照大神を祭り、神仏習合の蔵王権現と熊野権現を合祀した経緯も不明です。もしかすると、軽羽迦神社の近くにある「白鳥神社」で日本武尊が祭られているので、被るのを避けたのかも・・・

軽羽迦神社データ

神社名軽羽迦神社
住所大阪府羽曳野市軽里3丁目6
祭神天照大神、蔵王権現、熊野権現
摂社稲荷大明神
旧社格不明
式内社無し
祭礼10月
参考資料案内板、大阪府神社名鑑

アクセスと駐車場

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