「式内社」という言葉をご存じでしょうか?式内社とは「延喜式神名帳」に記載された由緒ある神社として知られています。
全国に2861社ある式内社ですが、そのうち南河内郡(堺市美原区・太子町・河南町・千早赤阪村)には7社存在しています。
南河内郡にある式内社とは、どんな神社なのか?今回は、南河内郡にある式内社6社を紹介します。
式内社とは
延喜式神名帳は、平安時代の927年に編纂されたもので、当時存在した神社を記録したもの。この延喜式神名帳に記載された神社を「式内社」と呼びます。
延喜式神名帳には神社の「所属する郡」「神社名」「神様の数」のみが記載。そのため、詳しい場所やどのような神様が祭られていたかまでは分かりません。
ただ、延喜式神名帳に記載されているということは、少なくとも927年より以前に建てられたということで、長い歴史をもつ神社ということになります。
南河内郡のうち太子町・河南町は、古代の行政区分において「石川郡」に所属。堺市美原区は「丹比郡」に所属します。
1.丹比神社(堺市美原区)
祭神 | 火明命(ほあかりのみこと) 瑞歯別命(みつはわけのみこと) |
住所 | 大阪府堺市美原区多治井157番地 |
社伝によると、古代の豪族「丹比連」が祖神である「火明命」を祭るために創建したと伝わっています。丹比連は、反正天皇に近い豪族として、丹比神社一体を本拠地としていました。
境内には、反正天皇の産湯に使われたという井戸も残されており、天皇家とのつながりを感じられます。
一方で、後年に丹比神社一体を本拠地とした同名の別一族「丹比真人」との関係も指摘されています。丹比神社の近くには丹比真人の氏寺とされる「丹比寺跡」も残されており、何らかのつながりがあったようです。
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2.櫟本神社(堺市美原区)
祭神 | 瑞歯別命(みつはわけのみこと) |
住所 | 大阪府堺市美原区真福寺332−1 |
あまり記録がないため、詳しい創建は分かっていません。祭神も確かなことはわかっていませんが「瑞歯別命(反正天皇)」ではないかと考えられています。
言い伝えによると、この地にあった櫟(イチイ)の大木を見た反正天皇が「丹比の櫟本」と名づけたことが創建の由来とされています。
1907年(明治40年)に丹比神社に合祀されていますが、旧社地には今も小さな社が残されています。
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3.菅生神社/菅生天満宮(堺市美原区)
祭神 | 菅原道真(すがわらみちざね) 天児屋根命(あめのこやねのみこと) |
住所 | 大阪府堺市美原区菅生178-1 |
古代、この地は沼地が多く菅(すげ)が一帯に生えていたため「菅生(すごう)」と称されたといわれています。菅生神社は主祭神として菅原道真と天児屋命を祭っており、菅生周辺を治めいていた「中臣氏」が地名から「菅生氏」を名乗り、祖神を祭る為に創建したと伝えられています。
本殿左手には、菅原道真が誕生したとされる「菅澤」は存在しています。社伝によると菅生天満宮内にあった神宮寺「天門寺」の僧が「菅原道真は菅澤のほとりから突然生まれた!」と言う説を唱え、菅生天満宮と称するようになったようです。
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4.科長神社(太子町)
祭神 | 級長津彦命(しなつひこのみこと) 級長津姫命(しなつひめのみこと) |
住所 | 大阪府南河内郡太子町山田3751 |
もともとは二上山にあり「二上権現」と呼ばれていました。のちの1238年(歴仁元年)に、現在地へ移ったといわれています。
科長神社の存在する場所は「神功皇后誕生後」との言い伝えがあり、神功皇后が三韓征伐の時、御所用兜の雛形として作らせた「神功皇后雛形兜」が、社宝として残されています。
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5.一須何神社(河南町)
祭神 | 大己貴尊(おおなむちのみこと) 天照皇大神(あまてらすおおかみ) 天児屋根尊(あめのこやねのみこと) 品陀別命(ほんだわけのみこと) |
住所 | 大阪府南河内郡河南町一須賀628 |
詳しい創建は分かっていません。現在4柱の神様が祭られていますが、もともとの祭神は1柱でした。蘇我氏の本拠地である「石川郡」にあることから、蘇我氏との関係も考えられています。
この一帯の中心的な神社であり、明治時代には近隣から「降旗神社」「菅原神社」が合祀されています。
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6.鴨習太神社(河南町)
祭神 | 饒速日命(にぎはやひのみこと) 高皇産霊尊(高皇産霊尊) |
住所 | 大阪府南河内郡河南町神山595番地 |
長らく鴨習太神社がどの神社なのか特定されていませんでした。しかし明治時代に当神社が式内社である「鴨習太神社」と比定された珍しい経緯を持ちます。
式内社に比定される前の鴨習太神社は「菅原道真」を祭っていました。しかし鴨習太神社が当神社であるならば、古代にこの一帯を治めていた物部氏の祖神だろうということで「饒速日命」に変わっています。
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7.建水分神社(千早赤阪村)
祭神 | 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 天水分神(あめのみくまりのかみ) 国水分神(くにのみくまりのかみ) 罔象女神(みつはのめのかみ) 瀬織津媛神(せおりつひめのかみ) |
住所 | 大阪府南河内郡千早赤阪村水分357 |
社伝によると、第10代崇神天皇が金剛山麓に「水分神(みくまりのかみ)」という水の神様を祭ったのが由来とされています。
南北朝時代に、楠木正成により再建されたことから楠木氏と深いつながりを持ちます。境内には楠木正成を祭る「南木神社」がある他、鳥居に掲げられた扁額は楠木正成の長男である「楠木正行」が奉納したもの。
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まとめ
明治時代に行われた神社合祀政策により、南河内郡で合祀された式内社は「櫟本神社」のみ。櫟本神社も後年、小さいながらも旧社地に小さな祠が建てられ復社しています。