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咸古神社|明治時代に式内社に比定された神社【御朱印】〜富田林市〜

咸古神社の拝殿

南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、富田林市龍泉にある「咸古神社(こんくじんじゃ)」です。




咸古神社は、延喜式神名帳にも記載されている由緒ある式内社として知られています。

もともとは牛頭天王社といい、龍泉寺の鎮守として牛頭天王を祭っていました。その後、明治時代に式内社である咸古神社に比定されたため改名したという変わった歴史を有しています。

そんな変わった歴史を持つ咸古神社とはどのような神社なのか?今回は、富田林市龍泉にある「咸古神社」を紹介します。

咸古神社とは

延喜式神名帳に記載された式内社ですが、詳しい創建はわかっていません。ただ、延喜式神名帳が編纂された927年より以前には建てられていたようです。




咸古神社と同じ敷地に存在する龍泉寺の寺伝によると、823年に近隣が旱魃に見舞われた際、この地を訪れた弘法大師が境内に牛頭天王を祭り、龍泉寺の鎮守としたと伝わっています。弘法大師が雨乞いの儀式を行った際、雨水を得て境内には池が誕生し、池の小島に祭ったという聖天、弁才天、叱天が今も残されています。

龍泉寺

このように当社は、昔から咸古神社とされていたわけではなく、江戸時代までは牛頭天王を祭る龍泉寺の鎮守という位置づけでした。

龍泉寺

一方、延喜式神名帳に記載された咸古神社とはどの神社を指しているのか長らく不明でしたが、明治時代に入ると、龍泉寺の牛頭天王社が咸古神社であると比定。祭神を牛頭天王から神八井耳命に改め「咸古神社」を称するようになります。




1872年(明治5年)に村社に指定。1909年(明治42年)に甘南備地区の産土神であり、式内社でもある「咸古佐備神社」を合祀し、現在に至ります。

咸古神社と紺口県主

咸古神社の扁額

当社が咸古神社に比定された理由としては、古代豪族である「紺口県主(こんくあがたぬし)」の本拠地に近かったからとされています。

紺口県主は「神八井耳命(かんやいみみのみこと)」を祖に持つ一族。神八井耳命は、神武天皇の長男であり、神沼河耳命(後の第2代綏靖天皇)の兄にあたります。

神武天皇の崩御後、皇位を狙う腹違いの兄「手研耳命(たぎしみみのみこと)」が2人を害しようと企んだため、神八井耳命は弟の神沼河耳命とともに手研耳命を殺害。

この際、神八井耳命は上手く立ち回ることが出来なかったため、皇位を神八井耳命に譲りました。




皇位にはつかなかった神八井耳命ですが、子孫たちは地方で有力豪族になるものが多く、紺口県主もその一人でした。

古代、富田林市東部は「紺口県」という行政区分であり、紺口県主は、紺口県を治める豪族だったとようです。

咸古神社の北東にある寛弘寺地区には「寛弘寺古墳群」という200基を超える古墳郡が存在しました。古墳時代全般にわたり築造され続けたと巨大な古墳群で、紺口県主一族の墓ではないかといわれています。

寛弘寺古墳群の全景

寛弘寺古墳群

「咸古(こんく)」は「紺口(こむく)」に通じることから、咸古神社は紺口県主が祖神である「神八井耳命」を祭るために創建したと考えられています。

当社は本当に咸古神社なのか?

実際に現在の咸古神社が、延喜式神名帳に記載された咸古神社と一致するという資料は残されていません。




咸古神社の建つ龍泉、佐備、甘南備一帯は、古代豪族である「忌部氏(いんべうじ)」の治める地でした。

龍泉に隣接する佐備地区の佐備神社や甘南備地区の咸古佐備神社は、忌部氏の祖神である「天太玉命」を祭神としています。

佐備神社

佐備神社

紺口県主が祖神を祭る神社を建てるには、位置的に少し離れているように思えます。

そのあたりを考えると、寛弘寺古墳郡の南部に位置する「鴨習太神社」あたりが位置的にはふさわしいと思われます。

鴨習太神社の拝殿

鴨習太神社

ちなみに、現在の鴨習太神社も明治時代に入ってから、式内社である鴨習太神社と比定されている点では同じ経緯をたどっています。

咸古神社に行ってみました

咸古神社は、龍泉寺の境内に存在します。という訳で、咸古神社を見に行こうとすれば龍泉寺に入らねばならず、入るには拝観料が必要です。

龍泉寺

ちなみに社務所に人は常駐せず、拝観料は箱に入れるシステム。




拝観料を払い奥へ進むと立派な山門が建てられています。龍泉寺は、南北朝時代に兵火により多くの伽藍が焼失しました。この山門は、唯一焼失を免れた伽藍とのこと。

龍泉寺

山門には山号である「牛頭山」の扁額。神社創建は、弘法大師が牛頭天王を龍泉寺の鎮守としたことが由来となっているようです。

龍泉寺の扁額

山門の脇には、鳥居が建てられていますが、これが咸古神社の一の鳥居のようです。鳥居上部にパトライトのようなものが取り付けられていますが、これは一体…

咸古神社の一の鳥居

参道をさらに進むと龍泉寺の本堂があり、その裏手に咸古神社が存在。わりと境内の端にあるため、ここに神社があることに気付かない人もいるかもしれません。

龍泉寺

本堂の脇を進むと、社名碑と赤い二の鳥居が存在。社名碑には「式内」と彫られています。

咸古神社の二の鳥居

鳥居をくぐり、左側にある手水舎。屋根付きのしっかりした造り。

咸古神社の手水舎

木々に囲まれ、うっそうとした雰囲気ですが、境内は広く、とてもキレイに保たれています。これだけ山の中にあると、維持するのも大変でしょう。

咸古神社の全景

こちらが、咸古神社の狛犬。いたってベーシックなお姿。

咸古神社の狛犬

咸古神社の狛犬

こちらが拝殿になります。まさかの屋根が赤色というエッヂの利かせ方。拝殿の前には壁が建てられているのも珍しいかもしれません。

咸古神社の拝殿

拝殿脇には、石積みの祠が置かれています。賽の神でしょうか?

咸古神社の塞の神

拝殿の中には入られませんが、脇から本殿を見させて頂きました。ちなみに本殿の屋根も赤色です。

咸古神社の本殿

本殿の左脇には、小さな社が置かれていますが、合祀された咸古佐備神社と思われます。咸古佐備神社は、甘南備地区の産土神でしたが、1909年(明治42年)に咸古神社に合祀。もともとは、南河内清掃組合のごみ焼却場近くに建っていたそうですが、詳細な場所は分かっていません。

咸古佐備神社

まとめ

咸古神社の全景

かつて弘法大師が牛頭天王を祭り龍泉寺の鎮守とした当社が、本当に式内社の咸古神社かについては非常に興味深いところです。




龍泉寺の境内にひっそりとたたずむ咸古神社を紹介しました。確実な創建はわかりませんが、弘法大師であれ、紺口県主であれ非常に古い歴史を持つ神社であることは間違いありません。

今回は、富田林市龍泉にある式内社「咸古神社」を紹介しました。

御朱印

龍泉寺の社務所で、咸古神社の御朱印はいただけません。咸古神社を管理している美具久留御魂神社にて、御朱印をいただくことができます。

咸古神社の御朱印

アクセスと駐車場

・公共交通機関

富田林駅

近鉄長野線「富田林市駅」下車。金剛バス「東條線」に乗車し「龍泉停留所」下車、徒歩約10分。




・自動車
外環状170号線「新家交差点」を東へ曲がります。しばらく直進し「板持南交差点」を右折し、府道201号甘南備川向線を南に直進します。道なりに進むと「龍泉交差点」が見えるので右折。少し走ると「城山オレンヂ園のゲート」が見えてきます。ゲートをくぐり5分ほど走ると龍泉寺の無料駐車場が見えてきます。

周辺スポット

・牛頭山 龍泉寺

龍泉寺

咸古神社と同じ敷地にあるお寺。蘇我馬子により創建されたとされ、参道にある朱塗りの仁王門は重要文化財に指定されています。

・城山オレンヂ園

城山オレンヂ園

咸古神社近くにあるテーマパーク。山のオヤジと山の兄貴の手作りというユニークなテーマパークです。アスレチックやザリガニ釣りがある他、秋は味覚狩りも楽しめます。

・富田林かんぽの宿

かんぽの宿

咸古神社から車で2分程の場所にあるお宿。大阪府唯一のかんぽの宿で、露天風呂からは金剛山系の美しい眺めが一望できます。

・嶽山城跡

嶽山城跡

咸古神社から車で2分程の場所にある城跡。富田林かんぽの宿の裏手に存在しますが、あまり訪れる人もおらず、道が茂みで分かりにくくなっているので注意が必要です。

・楠妣庵観音寺

楠妣庵観音寺

咸古神社から車で15分程の場所にあるお寺。楠木正成の妻である久子が、夫と息子の菩提を弔い、晩年を過ごしたといわれています。

咸古神社データ


住所:大阪府富田林市龍泉886
祭神:神八井耳命
旧社格:村社
式内社:式内小社
参考資料:
・大阪府神社名鑑


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