「式内社」という言葉をご存じでしょうか?式内社とは「延喜式神名帳」に記載された由緒ある神社として知られています。
全国に2861社ある式内社ですが、そのうち富田林市には4社存在しています。
富田林市にある式内社とは、どんな神社なのか?今回は、富田林市にある式内社4社を紹介します。
式内社とは
延喜式神名帳は、平安時代の927年に編纂されたもので、当時存在した神社を記録したもの。この延喜式神名帳に記載された神社を「式内社」と呼びます。
延喜式神名帳には神社の「所属する郡」「神社名」「神様の数」のみが記載。そのため、詳しい場所やどのような神様が祭られていたかは、分かりません。
ただ、延喜式神名帳に記載されているということは、少なくとも927年より以前に建てられたということで、長い歴史をもつ神社ということになります。
富田林市は、古代の行政区分において「錦織郡」と「石川郡」に所属。存在する神社は「美具久留御魂神社」「佐備神社」「咸古神社」「咸古佐備神社」の4社になります。延喜式神名帳によれば各神社と1座とあり、それぞれ1柱の神様が祀られていたようです。
1.美具久留御魂神社
祭神 | 美具久留御魂大神(みぐくるみたまおおかみ) 天水分神(あめのみくまりのかみ) 弥都波迺売命(みずはのめのみこと) 国水分神(くにのみくまりのかみ) 須勢理比売命(すせりひめのみこと) |
住所 | 大阪府富田林市宮町3丁目2053 |
社伝によると崇神天皇の時代、国内が天災に見舞われたため、崇神天皇は大国主神の荒御魂の荒ぶりに原因があると考えました。そこで、この地に大国主神を祭ったことが始まりとされています。
南河内の式内社では、豪族が祖神を祭るために建てられた神社が大半です。美具久留御魂神社のように、天皇の勅命により建てられたのは、珍しい部類ではないでしょうか。
本殿に大国主神が祭られていると同時に、後背にそびえる山自体も御神体として崇められています。
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2.佐備神社
祭神 | 天太玉命(あめのふとだまのみこと) 松尾大神(まつおおおかみ) 春日大神(かすがおおかみ) |
住所 | 大阪府富田林市佐備467 |
社伝によると佐備神社は、858年の創建。佐備神社一帯は「忌部氏(いんべうじ)」が治めていたことから、忌部氏の祖神「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」を祭ったといわれています。
また佐備神社から少し南には「咸古佐備神社」が存在しました。現在は、富田林市龍泉にある「咸古神社」に合祀されていますが、咸古佐備神社も「天太玉命」を祭っています。社名に「佐備」とついていることから「佐備神社」とつながりがあったと考えられます。
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3.咸古神社
祭神 | 神八井耳命(かんやいみみのみこと) |
住所 | 大阪府富田林市龍泉886 |
もともとは牛頭天王社といい、龍泉寺の鎮守として牛頭天王を祭っていました。
これまで咸古神社がどの神社だったかは不明でしたが、明治時代に入ると、当社を式内社の咸古神社に比定。祭神を牛頭天王から神八井耳命に改め「咸古神社」を称するようになります。
1872年(明治5年)に村社に指定。1909年(明治42年)に甘南備地区の産土神であり、式内社でもある「咸古佐備神社」を合祀し、現在に至ります。
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4.咸古佐備神社
祭神 | 天太玉命(あめのふとだまのみこと) |
住所 | 大阪府富田林市龍泉886 |
咸古佐備神社の詳しい創建についてはよく分かっていません。ただ、咸古佐備神社一帯を治めていたのが「忌部氏」とされ、祖神である「天太玉命」を祭ったと考えられています。
1909年(明治42年)に、富田林市龍泉にある咸古神社に合祀。式内社であれば合祀された場合でも、旧社地に何か残っていることもあるのですが、咸古佐備神社はそれもなく、現在では旧社地の場所もよく分かっていません。
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まとめ
富田林市にある式内社4社を紹介しました。
4社のうち3社は近場にかたまっているので参拝しやすいと思います。(咸古佐備神社は咸古神社内にあるので、実質2社。)
また美具久留御魂神社は、山がご神体とあり、境内も広く見応えのある神社となっています。