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春日西之宮跡地|旧社地に残る不思議な空間~太子町~

春日西之宮跡地の石碑

南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、太子町春日にある「春日西之宮跡地(かすがにしのみやあとち)」です。もともとこの場所には「春日西之宮」という神社が存在しました。しかし現在は、石碑とわずかな遺物が残された場所となったいます。跡地となっている場所が、なかなか味のある景色だったので、興味が湧き行ってみることに。春日西之宮跡地とはどのような場所なのか?今回は、太子町春日にある「春日西之宮跡地」を紹介します。

春日西之宮とは

春日西之宮跡地は、太子町立磯長小学校の少し東側に存在します。住宅地の奥まった場所にあるため、あまり人が訪れることも少ないようです。

春日西之宮跡地の全景

春日西之宮の詳しい歴史についてはよくわかっていません。南河内の歴史について記した「郷土史の研究」によると、天照大神、素戔嗚命を祭り、太子伽藍の鎮守だったと記録されています。

太子伽藍というのは、春日西之宮跡地の少し西にある叡福寺を指すと思われます。ただ叡福寺が太子町太子に存在するのに対し、春日西之宮は太子町春日にあるので、地区が異なり距離も離れているのが気になるところです。

叡福寺
叡福寺

記録によると、政府の神社合祀政策により、1912年(明治45年)に太子町山田の「科長神社」に合祀。

科長神社の全景
科長神社

その後、理由は不明ですが太子町春日にある春日神社に合祀され現在に至ります。ただ、春日神社の石碑には1907年(明治40年)に春日神社に合祀と記載されており、どちらが正しいかは不明。

春日神社(太子町)
春日神社

春日西之宮の旧社地は社殿が取り壊されて、民有地として売却。一部は畑となりましたが、社殿があった場所には「春日西之宮跡地」の石碑が建てられています。

合祀された神社のその後のパターン

明治政府の神社合祀政策では、南河内においても多くの神社が合祀されています。合祀された神社はその後、以下のパターンに分かれます。

1..合祀され、旧社地が消滅。
(例)咸古佐備神社
2.合祀されるが、旧社地は保存。
(例)中村神社

中村神社跡の全景
中村神社跡

3.復社して旧社地に再建される
(例)飛鳥戸神社、志貴県主神社

志貴県主神社
旧社地に復社した志貴県主神社

4.復社して旧社地に再建されるが合祀先にも残る
(例)利雁神社、櫟本神社、降旗神社

櫟本神社
旧社地に建つ櫟本神社

春日西之宮については、2番の「合祀されるが、旧社地は保存」にあたります。合祀されて旧社地が保存されるパターンは少なく、春日西之宮はレアなケースになります。

春日西之宮跡地に行ってきました

何がキッカケで春日西之宮跡地を発見したのか忘れましたが、Googleマップで確認したところ不思議な光景が印象的でした。そんな訳で、特になにもない場所ですが興味が湧いたので訪問してみることに。

Googleマップでルート確認すると正面からと東側からのルートが確認できました。ただどのルートも狭く、公道なのか私道なのか、そもそも道なのかも不明だったので手探りです。正面からの道が一番広そうでしたが、Googleマップ上では個人宅にも見えたので、東側から迂回して向かいます。これがまた予想以上に細い道で、行き止まりになっていないかドキドキです。幸い、合っていたらしく春日西之宮跡地の正面に出ることができました。

正面からの道を見てみると、一応舗装されている公道のようで、昔は参道だったのかもしれません。ちなみに普通に正面の道を通っても大丈夫そうでした。

春日西之宮跡地の参道

こちらが春日西之宮跡地の全景。若干カオスな雰囲気が漂っているのがとても素敵です。

春日西之宮跡地の全景

枯れた大きな切り株が置かれています。この幹周りからするとかなり大きな木だったのではないでしょうか。

春日西之宮跡地に残る巨大な切り株

こちらにあるのが石灯篭。この場所が神社だったと唯一わかる遺物です。完全体ではなく、屋根部分だけ失われているのも、カオス感に一役買っています。

春日西之宮跡地の灯篭

この石碑が、春日西之宮跡地のメインとなります。というか、これがなければここが何の場所なのか全くわからなかったでしょう。石碑自体は意外とキレイで、そんなに古い感じはありません。

周囲には古い石がゴロゴロと置かれていますが、何に使用されていたかは不明。石碑の後ろにも多くのブロック塀が置かれていますが、明治時代にブロック塀はなさそうなので、神社の遺物ではなさそうです。

春日西之宮跡地の石碑

ただ、ブロック塀の残骸の後ろにある壁が、社殿を囲む土壁だったのかもしれません。

春日西之宮跡地の土壁

住宅密集地に突然現れるカオス光景がユニークで、しばし不思議な世界を楽しませてもらいました。

まとめ

春日西之宮跡地の全景

今回は、太子町春日にある「春日西之宮跡地」を紹介しました。一度合祀された神社は、記録が非常に少ないため人々の記憶から消えてしまうものが大半です。復社されないまでも、旧社地がこのように保存されているのは、地元の人々がこの場所を非常に大切にしていたことの表れかもしれませんね。

春日西之宮跡地データ

住所:大阪府南河内郡太子町春日1644-3
参考文献:郷土史の研究、春日神社案内板

アクセスと駐車場

・公共交通機関
近鉄長野線「喜志駅」下車。金剛バス太子線にて「磯長小学校前」下車、徒歩約3分。

・自動車
春日西之宮跡地に駐車場はありません。徒歩5分ほどの場所にある「太子・和みの広場」の駐車場を利用するのが便利です。

周辺スポット

・用明天皇陵/春日向山古墳

春日西之宮跡地から徒歩5分ほどの場所にある古墳。梅鉢御陵の一つで、聖徳太子の父である用命天皇の陵とされています。

・叡福寺/聖徳太子廟

春日西之宮跡地から徒歩5分ほどの場所にあるお寺。境内にある聖徳太子廟を守るために創建されたと伝えられています。

・松井塚古墳

春日西之宮跡地から徒歩5分ほどの場所にある古墳。古墳名が個人の名前からつけられたという珍しい古墳です。

・西方院

春日西之宮跡地から徒歩10分ほどの場所にあるお寺。聖徳太子が死去した後に出家した3人の侍女により、創建されたとされています。

・春日神社

春日西之宮跡地から徒歩10分ほどの場所にある神社。現在、こちらの神社に春日西之宮が合祀されています。

・伝:蘇我馬子の墓

春日西之宮跡地から徒歩10分ほどの場所にある墓。蘇我馬子の墓との言い伝えが残されています。

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