南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、南河内郡太子町葉室にある「葉室塚古墳(はむろづかこふん)」です葉室古墳群の盟主的古墳として知られている室塚古墳。その規模などから、皇族クラスの墓とも、大豪族の墓ともいわれています。そんな葉室塚古墳の被葬者は誰なのか?今回は、南河内郡太子町葉室にある「葉室塚古墳」を紹介します。
葉室塚古墳とは
7世紀前半に築造されたとされる葉室塚古墳は、近つ飛鳥博物館の北側に存在します。別名「越前塚古墳(こしまえづかこふん)」ともいわれていますが、由来は不明。周辺に存在する「石塚古墳」「釜戸塚古墳」「モンド神塚古墳」などを含め「葉室古墳群」を構成。現在は「葉室公園」として整備されています。
葉室古墳群は「磯長谷古墳群(しながだにこふんぐん)」に属しており、周辺には敏達天皇、用明天皇、推古天皇、孝徳天皇、聖徳太子の墓があることから「王陵の谷」とも呼ばれています。
葉室塚古墳の築造時期は7世紀前半。墳長は、東西75m、南北55m。墳丘は一部破壊されているため不明ですが、「双方墳」もしくは「長方墳」といわれていますます。
墳丘は二段になっており、東西にそれぞれ埋葬施設があると考えられていますが、調査が行われていないのでよくわかってません。
葉室塚古墳の被葬者は誰?
皇族説の陵説
被葬者については不明ですが、皇族クラスの墓との説があります。その根拠となるのが「規模」と「埋葬施設」。葉室塚古墳と同時期に築造された古墳には、以下の古墳が存在します。
・用明天皇陵:63m×60m(方墳)
・推古天皇陵:63m×56m(長方墳)
・二子塚古墳:66m×26m(双方墳)
・葉室塚古墳:75m×55m
葉室塚古墳は、75m×55mの規模を有しており、用明天皇陵や推古天皇陵を上回る規模となっています。
またこの時代、周濠もつ古墳が少ないにもかかわらず、葉室塚古墳は周濠を有しています。近隣の終末古墳で周濠を有しているものは隣接する釜戸塚古墳や用明天皇陵など、あまり多くありません。
次に根拠となるのが埋葬施設。葉室塚古墳には、東西それぞれに横穴式石室を有していると考えられています。つまり、2名以上の人物が埋葬されていたとのことになります。葉室塚古墳の築造時期において、2名以上で合葬された皇族は以下になります。
・敏達天皇と石姫皇女(母)
・推古天皇と竹田皇子(息子)
・聖徳太子と穴穂部間人皇女(母)、膳部菩岐々美郎女(妻)
上記天皇に比定されている古墳は以下になります。
・敏達天皇:太子西山古墳(前方後円墳)
・推古天皇:山田高塚山古墳(長方墳)
・聖徳太子:叡福寺北古墳(方墳)
聖徳太子廟については、過去の記録から石室内に石棺が3つ存在することが判明しています。(2つという説も)推古天皇陵も、2つの横穴式石室を有するといわれています。ただ、すぐ近くに存在する「二子塚古墳(双方墳)」もあり、こちらが推古天皇の真陵との説もあります。
敏達天皇陵とされる太子西山古墳には、埴輪の存在が確認されています。この点から、太子西山古墳は、敏達天皇の時代より少し古い古墳ともいわれています。そのため、葉室塚古墳を敏達天皇の真陵とする説もあります。
また、石室のタイプからも葉室塚古墳の被葬者が高い身分の墓であることが見えてきます。葉室塚古墳の石室は、隣接する釜戸塚古墳が岩屋山式の横穴式石室を有していたことから、同様の石室を有している可能性があります。
近隣の古墳では、他に聖徳太子の墓とされる叡福寺北古墳が、岩屋山式の横穴式石室と考えられています。岩屋山式の横穴式石室は、奈良県明日香村にある岩屋山古墳をモデルとする石室で、精巧な切石加工を用いた古墳として知られています。その岩屋山古墳の被葬者は不明ですが、斉明天皇や吉備姫王等の説も。
岩屋山式の横穴式石室は皇族クラスの古墳に用いられることも多く、葉室塚古墳が岩屋式の横穴式石室であったとすれば、被葬者も皇族クラスであったとも考えられます。
大豪族の墓説
一方で葉室塚古墳は、大豪族の墓との説もあります。その有力な候補として挙げられるのが古墳時代末期の大豪族「蘇我氏」。葉室古墳群を含む一帯は「石川郡」と呼ばれた場所で、蘇我氏の本拠地でした。蘇我氏といえば、蘇我稲目、蘇我馬子、蘇我蝦夷、蘇我入鹿、蘇我倉山田石川麻呂などがよく知られているのではないでしょうか。
蘇我氏は、敏達天皇の頃に蘇我稲目が大臣に就くなど、ヤマト王権において強い権力を有していました。また欽明天皇の妃に蘇我氏の娘を送り込むなど、皇室とのつながりを深めます。欽明天皇と蘇我氏の娘の間に産まれた子からは後に「用明天皇」「推古天皇」「崇峻天皇」などが即位。蘇我氏は、外戚として強い権力を持つようになりました。
葉室塚古墳は、天皇家に強い影響力を持つ蘇我氏が、天皇陵に匹敵する墓を造らせたものとも考えられます。また蘇我氏は、渡来系豪族とのつながりが深かった豪族としても知られています。蘇我氏は、外国からの人・物・文化などの動きに深く関わり、渡来系豪族に強い影響力を持っていました。崇峻天皇の暗殺事件において、蘇我馬子が実行者に指名したのは渡来系豪族の東駒子でした。
葉室塚古墳のすぐ南に存在する一須賀古墳群は、渡来系豪族の墓ともいわれており、蘇我氏と渡来系豪族との深い関係を感じさせます。
皇族、渡来系豪族との強いつながりを持った蘇我氏が、本拠地である石川郡において、天皇陵に匹敵する古墳を築いた可能性も否定できません。ただ、蘇我氏が石川郡を本拠地とした経緯はよくわかっていません。一説によると、もともと蘇我氏は羽曳野市と太子町の境にある九流谷古墳を築造した豪族で、太井川沿いを南下し勢力を拡大させたとの説もあります。
九流谷古墳を起点に、太井川を南下すると敏達天皇陵である太子西山古墳、そして葉室古墳群に至ります。葉室塚古墳が皇族の陵なのか、蘇我氏の墓なのかは分かりません。ただ、かなり身分の高い人物の墓であることは間違い無いようです。
葉室塚古墳に行ってみました
葉室塚古墳のある葉室公園へは過去に数回訪れていますが、駐車場へ至る道が狭く柵が無いので、毎回恐怖に震えています。
葉室公園内には、葉室塚古墳、石塚古墳、釜戸塚古墳が存在しますが、どの墳丘も損失が激しく原型を留めていません。
こちらは、かつてミカン畑にもなっていた釜戸塚古墳。公園からの角度からは見えませんが、横穴式石室もかなり破壊されわずかな石が残されただけとのこと。
石塚古墳も封土の多くが失われており、古墳といわれなければ段差にしか見えません。どちらの古墳も天皇もしくは大豪族クラスの墓らしいのですが、少し寂しい感じになっています。
そしてこの公園の主役である葉室塚古墳は…
よくわかりません…
葉室公園に隣接する林のような場所が、葉室塚古墳の東側墳丘。周囲にフェンスが張り巡らされているので、中には入られません。まあ、これだけ鬱蒼としていると、フェンスがなくとも入りたくありませんが…
南側から回ってみましたが、一段低くなっており、こちらから墳丘をみることはできません。
葉室塚古墳の西側墳丘を見るためには、一度公園の外に出て、少し西に歩くと、葉室塚古墳の西側に続く細い道があります。
この道を少し下ると、葉室塚古墳の西側墳丘を見ることができます。といっても普通にミカン畑なんですが…
とはいえ墳丘の規模は非常に大きく、終末古墳としてはかなり大規模だったことを感じさせました。
まとめ
今回は、南河内郡太子町にある「葉室塚古墳」を紹介しました。磯長古墳群といえば、多くの皇族陵で知られていますが、葉室塚古墳も皇族クラスもしくは大豪族の墓であった可能性が高いようです。葉室塚古墳の発掘調査はあまり行われていないようなので、今後被葬者に関する新たな情報が出てくることを期待したいですね。
葉室塚古墳データ
古墳名 | 葉室塚古墳 |
別名 | 越前塚古墳 |
住所 | 大阪府南河内郡太子町葉室1272 |
墳形 | 双方墳または長方墳 |
直径 | 東西75m、南北55m |
高さ | 8m |
築造時期 | 7世紀前半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室(推定) |
出土物 | 不明 |
参考資料 | ・案内板 ・太子町の古墳墓~王陵の谷・磯長谷古墳群~ |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄長野線「喜志駅」下車。金剛バス太子葉室循環線に乗車し「葉室」バス停下車。バス停より徒歩約3分。
・自動車
国道170号外環状線「栗ヶ池大橋西交差点」を東へ曲がります。府道32号美原太子線を10分程道なりに走り「上宮学園南交差点」を右折。府道33号富田林太子線を道なりに走り「近つ飛鳥博物館」の看板のある交差点を右折。つきあたりを右折し、すぐに葉室公園があります。葉室公園に2台ほどの停められる駐車場があります。ただ駐車場への道がかなり狭いので注意が必要です。
案内板
7世紀前半に造られた東西75m,南北55mの長方墳で北側は塀をめぐらし,南側は低い張り出し(前庭部)をもつ。墳丘の形状からみて東西に二つの横穴式石室があると思われます。町内にある推古天皇陵や二子塚古墳も1古墳2石室であり,平面プランもこの古墳と似ています。 このように葉室古墳群は天皇陵規模の古墳であることから,飛鳥時代に都で大臣として活躍した蘇我氏と関係深い古墳ともいわれ,また近くにある一須賀古墳群や梅鉢御陵と呼ばれる5基の天皇陵との拘わりなど,当時の歴史を解明するため重要な古墳群といえます。
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