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大黒天 | 紙幣と南河内ゆかりの人物 その1 ~羽曳野市~

2019年4月9日に新紙幣が発表されました。1万円札には「渋沢栄一」5千円札には「津田梅子」千円札には「北里柴三郎」が採用され、2024年から使用されます。

新紙幣に採用される人物と南河内には関係する部分は無さそうでしたが、過去の紙幣を調べてみると、南河内に関連する人物が何人か採用されていました。




紙幣とゆかりのある南河内の人物は誰なのか?第一回目の「紙幣と南河内ゆかりの人物」は「大黒天」です。

大黒天と紙幣

一円紙札

一円紙札
CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)],
ウィキメディア・コモンズ経由で

1円札 明治18年(1885年)
5円札 明治19年(1886年)
10円札 明治18年(1885年)
100円札 明治18年(1885年)

大黒天の紙幣は明治時代初期に4種類発行されています。大黒天の紙幣の内、1円札、10円札、100円札は表面に大黒天が描かれていますが、何故か5円札だけ裏面に大黒天が描かれています。

当時、偽造されない紙幣の製造に頭を悩ましていた日本政府は、国産化に向けて技術者を求めていました。そこで招聘されたのがイタリア人のエドアルド・キヨッソーネという人物。




キヨッソーネは銅版画の専門家で、紙幣以外も有名な作品が存在しています。特に明治天皇、西郷隆盛、大村益二郎の絵はキヨッソーネの作品としてよく知られています。

キヨッソーネによる西郷隆盛像
Edoardo Chiossone (1833 - 1898)
[Public domain],
ウィキメディア・コモンズ経由で

この大黒天紙幣は全てキヨッソーネが図案考案しています。二つの俵の上に乗り、手に小槌、肩に大きな袋を担いでいるオーソドックスな大黒天。

しかしよく見ると、俵の一つは破れネズミに米が食べられています。そんなリアルなシチュエーションを、お札で再現しなくてもいいんじゃないか…

あと、笑い方も満面の笑みと言うより「ニヤッ」っとしたニヒルな笑いで、座り方と視線が少しダンディな雰囲気を醸し出しています。

心境としては「フッ、ネズミか…食べたければ好きなだけ食いな…」と言うとこなのかもしれません。イタリア人が描いたら大黒天も性格がラテン気質になるんでしょうか?

この紙幣は強度を高めるために「コンニャク粉」を紙の材料に使用しています。それで強度が上がったのかはわかりませんが、そのせいで、ネズミや虫に食べられると言う「食害」が発生。

これが問題となり、新たな1円札が発行。大黒天紙幣は役割を終える事になります。

大黒天とは

大黒様は元々インドで「マハーカーラ」と呼ばれる神様です。マハーカーラと聞いてもピンときませんが、ヒンドゥー教3柱神の1神である「シヴァ神」の別名と言われています。

Mahākāla - AMNH - DSC06234
作者 Daderot (投稿者自身による作品) [CC0 または CC0], ウィキメディア・コモンズ経由で
マハーは「大いなる」、カーラは「黒、暗黒、時間」。つまり大黒天はマハーカーラを直訳したという分かりやすい名前です。

「戦闘、冥府、財福」をつかさどる神様でしたが、インドから日本に伝わる途中で「戦闘、冥府」が消滅。日本では財福の神として、ふくよかでニコニコした姿になったようです。

大黒様と南河内ゆかりの地

大黒寺

羽曳野市大黒に存在する「天童山 大黒寺」は日本で初めて大黒天を祭ったお寺として知られています。創建は古く、1300年前に役ノ行者が自ら桜の木で大黒天を彫り安置したのが始まりとされています。

大黒寺|日本で最初に大黒様を祀ったお寺!【御朱印】~羽曳野市・アクセス~


大黒寺には日本最古の大黒天が祭られている他、大きな七福神が境内に建ち並ぶと言う中々のインパクトある境内。

大黒寺

それ以外にも鈴を鳴らしながら7回廻ってお参りすると、願いが叶う「千年小槌」などもあり、ご利益が満載なお寺となっています。


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