古市古墳群に現存する古墳は87基、世界文化遺産に登録されている古墳だけでも26基存在します。
これだけの古墳があると、どの古墳から見ていいのか分からない…そんな場合は、天皇陵と皇族陵から訪れてはいかがでしょうか?
古市古墳群には宮内庁が管理する天皇陵が7基、皇族陵が3基存在します。また、天皇が埋葬されている可能性がある陵墓参考地が1基存在します。
天皇陵や皇族陵の魅力はなんと言っても、その規模です。天皇が自らの権力を誇示するために、長い年月をかけて築いたその姿は圧巻です。
古市古墳群は、多くの巨大古墳が築造された古墳時代のピークにあたります。古市古墳群の天皇陵を知れば、古墳時代への理解も進むのではないでしょうか?
そんな訳で今回は、古市古墳群に祭られている天皇陵、皇族陵について紹介いたします。
天皇陵
一般的に「○○天皇陵」と呼ばれていますが、これは正式名称ではありません。正式名称には、宮内庁の正式名称と、古墳の正式名称が存在します。
例えば、百舌鳥古墳群の仁徳天皇陵には、宮内庁名「百舌鳥耳原中陵」と古墳名「大山古墳」の2つの名前があります。ただ、古墳名については複数存在する古墳もあります。
ここで問題があるのは「宮内庁が古墳に比定している人物と、実際に埋葬されている人物がイコールとは限らない」と言うことです。
天皇陵は、記紀の記載や伝承に基づいて比定されています。しかし、後の調査により宮内庁が比定する人物だと辻褄が合わない陵がいくつもでてきました。
しかし、辻褄があわなくても改めるのも難しいため、そのままになっているという問題があります。なので「○○天皇陵」との表記は、本来正確でないと思われます。
ただ、宮内庁名や古墳名は、馴染みが薄く、わかりにくいので今回は便宜上「○○天皇陵」と表記します。
応神天皇陵(世界文化遺産)
宮内庁名:惠我藻伏崗陵
古墳名:誉田御廟山古墳
墳型:前方後円墳
墳長:425m (全国2位)
築造:5世紀前半
世界文化遺産:登録(33-1リスト)
藤井寺市と羽曳野市にまたがる「国府台地」の南端に存在します。応神天皇は仲哀天皇と神功皇后の息子で、仁徳天皇の父にあたります。
父、仲哀天皇が九州の熊襲討伐中に急死しますが、応神天皇はまだ神功皇后のお腹の中でした。
出産間近にもかかわらず、神功皇后が天皇に代わり熊襲と朝鮮を征伐。日本で産むために腰に石を挟んで、出産を遅らせたという謎のエピソードがあります。
応神天皇陵は、宮内庁が管理する古墳のため中に入られません。しかし、誉田八幡宮の「お渡り」の日のみ、濠まで入ることができます。
允恭天皇陵(世界文化遺産)
宮内庁名:惠我長野北陵
古墳名:市ノ山古墳
墳型:前方後円墳
墳長:230m (全国19位)
築造:5世紀後半
世界文化遺産:登録(リスト25)
藤井寺市と羽曳野市にまたがる「国府台地」の北端に存在します。允恭天皇は、仁徳天皇の息子で雄略天皇の父にあたります。
明治時代以前は、古墳内に誰でも入れる状態でした。藤井寺市の民話には、古墳に入った木こりが、允恭天皇陵に住む大蛇に脅されるという話が存在します。
木こりは狭山池に住む大蛇の彼女に、プレゼントを何度も運ばされます。しかし禁じられていた中身をみてしまった為、後に不幸な人生を送ったというお話です。
允恭天皇陵の遥拝所の入口が見つけにくい場所にあります。発見すると隠しステージを見つけた気分になり、ちょっとうれしい気分に。
仲哀天皇陵(世界文化遺産)
宮内庁名:恵我長野西陵
古墳名:岡ミサンザイ古墳
墳型:前方後円墳
墳長:245m (全国16位)
築造:5世紀後半
世界文化遺産:登録(リスト23)
藤井寺駅より南へ徒歩15分程の場所に存在します。父は日本武尊、妻は神功皇后、息子は応神天皇。インパクトある家族に囲まれて、少し影が薄い仲哀天皇ですが、事績もあまり多くありません。
仲哀天皇陵は、古市古墳群において後半に築造された古墳です。
つまり、息子である応神天皇陵の後に築造されており、辻褄があいません。実際に仲哀天皇が埋葬されているかについては、疑問が持たれています。
時代的、規模的に考えて、現在のところ雄略天皇の陵という説があります。
安閑天皇陵
宮内庁名:古市高屋丘陵
古墳名:高屋築山古墳
墳型:前方後円墳
墳長:122m
築造:6世紀前半
世界文化遺産:未登録
古市駅より徒歩5分程の場所に存在します。世界文化遺産には登録されていません。
父は継体天皇、皇后は春日山田皇女。即位して4年で崩御したため、あまり事象はありません。古墳から、出土品としては珍しいガラス製品が見つかっています。
安閑天皇陵の特徴は、室町時代築かれた「高屋城」の本丸に利用されていたことです。
かつての高屋城は、河内守護の居城でした。天然の要害を利用した巨大な平城で、高屋城の周辺では幾度も大きな戦いが繰り広げられました。
清寧天皇陵
宮内庁名:河内坂門原陵
古墳名:白髪山古墳
墳型:前方後円墳
墳長:115m
築造:6世紀前半
世界文化遺産:未登録
古市駅から西へ徒歩約15分ほどの場所に存在します。清寧天皇の父は雄略天皇。性格的に豪快な雄略天皇の息子とは思えない程、控えめな性格でした。
清寧天皇は生まれつき、白髪だったといわれています。「白髪山古墳」という名前は、その姿が由来となっています。
清寧天皇陵(白髪山古墳)|白髪の天皇を祭る少し変わった前方後円墳 ぶら古墳 Vol.38 〜羽曳野市 百舌鳥古市古墳群〜
仁賢天皇陵
宮内庁名:埴生坂本陵
古墳名:ボケ山古墳
墳型:前方後円墳
墳長:122m
築造:6世紀前半
世界文化遺産:未登録
古市駅から徒歩15分程の場所に存在します。仁賢天皇の父である市辺押磐皇子は、履中天皇の息子でしたが、皇位を巡り雄略天皇に殺害。その為、仁賢天皇は幼い頃、弟(後の顕宗天皇)と播磨で逃亡生活をしていました。
雄略天皇の跡を継いだ清寧天皇には子がいませんでした。しかし、播磨に隠れていた2人を偶然知り、清寧天皇の跡継ぎとします。
清寧天皇崩御後に、弟が顕宗天皇として即位。後に顕宗天皇が崩御されると、仁賢天皇として即位します。
古墳名の「ボケ山古墳」は、仁賢天皇の名前である「億計(おけ)」が訛ったものと言われています。
雄略天皇陵
宮内庁名:丹比高鷲原陵
古墳名:島泉丸山古墳+島泉平塚古墳
墳型:島泉丸山古墳(円墳) / 島泉平塚古墳(方墳)
墳長:島泉丸山古墳(直径75m) / 島泉平塚古墳(一辺50m)
築造:5世紀後半
世界文化遺産:未登録
高鷲駅より北へ徒歩15分程の場所に存在します。父は允恭天皇で、息子は清寧天皇。
雄略天皇は古事記、日本書紀においてエピソードが豊富な天皇です。些細なことで人を殺害するなど暴虐的な話もいくつか記載されており、強権的な天皇だったようです。
兄である安康天皇が暗殺されると、他の兄弟を因縁をつけて殺害。仁賢天皇の父である市辺押磐皇子も強力なライバルだったことから、狩りに誘い出し殺害します。こうして力ずくで皇位を継承しました。
一方で、大和王権に反抗する豪族を征伐し、王権内の有力豪族の力を押さえつけるなど、天皇の権威を高めています。また、朝鮮半島にも強い影響力を有していました。
そんな、強大な力を誇った雄略天皇の陵は、島泉丸山古墳と島泉平塚古墳になります。この二つの古墳は、円墳と方墳で構成されており、上から見ると擬似的な前方後円墳に見えます。
日本書紀によれば、雄略天皇は「丹比高鷲原陵」に祭られたとあります。その記述から、この二つの古墳が雄略天皇の陵に比定されたようです。
ただ、強大な権力を誇った天皇の陵が、円墳と方墳の組み合わせというイレギュラーな点については異論が出ています。特に方墳である島泉平塚古墳については、そもそも古墳ではないとの説もあります。
皇族陵
古市古墳群には天皇だけではなく、皇后などが祭られている陵が存在します。宮内庁名の基準として「陵」と名が付くものは、天皇・皇后・太皇太后、皇太后が祭られます。「墓」と名が付くものは、その他の皇族が祭られています。
例えば有名な聖徳太子は用命天皇の息子ですが、宮内庁名は「磯長墓」になります。ただ、全てが厳格に守られている訳でもありません。
日本武尊陵(世界文化遺産)
宮内庁名:白鳥陵
古墳名:白鳥陵古墳 / 軽里大塚古墳
墳型:前方後円墳
墳長:200m
築造:5世紀後半
世界文化遺産:登録(リスト45)
古市駅より徒歩10分程の場所に存在します。父は景行天皇で、息子は仲哀天皇。古代史において、最も知名度の高い人物ではないでしょうか。
九州を根拠とする熊襲のリーダを女装の計略で倒すエピソードや、敵の火攻めを草薙の剣で乗り切るエピソードなどがよく知られています。大和王権への貢献度が高かった為か、日本武尊は天皇ではないにもかかわらず「陵」扱いされています。
日本武尊は東征の帰り、伊吹山の神の討伐に失敗して三重で亡くなります。三重に陵が築かれた後、陵から白鳥となり飛び立った日本武尊は、奈良の御所市に立ち寄り、最後に羽曳野市に降り立ちます。その為、日本武尊の陵は日本に3ヶ所存在し、それぞれ宮内庁により管理されています。
羽曳野という地名は、白鳥となった日本武尊が昇天する際に「羽を曳くが如く」飛び立った事が由来となっています。
日本武尊陵の築造は、5世紀後半と古市古墳群において後半に築造されています。順番的、時代的に考えて、実際に日本武尊が実際に祭られている可能性は低いと考えられています。
日本武尊陵は「軽里」という場所に存在しますが、かつては「軽墓」と呼ばれていたそうです。地名や時代的に考えて、埋葬者として允恭天皇の長男である「木梨軽皇子」有力視されています。
仲姫命陵(世界文化遺産)
宮内庁名:仲津山陵
古墳名:仲姫命陵古墳
墳型:前方後円墳
墳長:290m
築造:4世紀後半
世界文化遺産:登録(リスト23)
国府台地の中央部に存在する古墳です。仲姫命は応神天皇の皇后で、曽祖父は景行天皇になります。仁徳天皇の母である意外、エピソードは多くありません。
仲姫命は、応神天皇よりも長生きしています。しかし、古墳の築造順では、仲姫命陵は応神天皇陵より前に築造されています。
古墳は生前から築造されるので、亡くなられた順番と古墳の築造順番がイコールになるとはかぎりません。
ただ可能性として、この規模の古墳なら天皇クラスが埋葬されているとも考えられます。
春日山田皇女陵
宮内庁名:古市高屋陵
古墳名:高屋八幡山古墳
墳型:前方後円墳
墳長:90m
築造:6世紀後半
世界文化遺産:未登録
古市駅より徒歩約15分の場所にある古墳です。春日山田皇女は、安閑天皇の皇后で、父は仁賢天皇。
仁賢天皇の息子、武烈天皇の代で仁徳天皇の系統が断絶しました。そのため、遠縁の応神天皇系統から継体天皇が即位。継体天皇の息子である安閑天皇は、仁徳天皇系の血を引く春日山田皇女を皇后に迎えて、皇位の正統性をアピールする狙いがあったようです。
春日山田皇女陵は、高屋城の二の丸があった付近に存在します。元々は前方後円墳でしたが、過去に墳丘は改変。現在は四角い方墳になっています。
陵墓参考地
遥拝所のある天皇陵ではありませんが、陵墓参考地とされる古墳も存在します。陵墓参考地とは、宮内庁が皇族の陵墓の可能性があると判断した古墳です。
主に記録や伝承、墳型などから推定していますが、断定するには決め手がないめ「陵墓参考地」としています。古市古墳群には1基存在します。
津堂城山古墳(世界文化遺産)
宮内庁名:藤井寺陵墓参考地
被葬候補者:允恭天皇
古墳名:津堂城山古墳
墳型:前方後円墳
墳長:210m
築造:4世紀後半
世界文化遺産:登録(リスト22)
藤井寺駅より徒歩15分程の場所に存在します。古市古墳群の中で最も古く築造された古墳として知られています。
津堂城山古墳には自由に入ることができますが、墳頂部分のみ宮内庁が管理して入れません。
宮内庁では、允恭天皇を被葬候補としていますが、時代的、古墳の築造順に考えてその可能性は低いと思われます。
古市古墳群が造り出された最初の巨大前方後円墳ともなると、天皇クラスが埋葬されていると思われます。
実は、津堂城山古墳からは、巨大な水鳥の埴輪が出土しています。水鳥と言えば白鳥。白鳥と言えば…
と、想像は膨らみますが、実際の埋葬者については不明です。
まとめ
天皇陵7基、皇族陵3基と、陵墓参考地1基を紹介しました。
しかし、埋葬者の人柄や時代背景を知って古墳を眺めてみると、印象も少し変わるかもしれません。ビジュアル的な迫力に合わせて、古墳時代の背景を知れば、より古墳を楽しめるのではないでしょうか?