信濃善光寺の本尊である一光三尊仏はインドからやってきた日本最古の仏像として国宝に指定されています。その一光三尊仏が昔分裂して、片方の一光三尊仏が藤井寺の小山善光寺に存在するとのこと。小山善光寺と信濃善光寺に、どのような関係があるのかを調べてみました。
小山善光寺とは
藤井寺市にある小山善光寺は浄土宗で山号は南面山無量壽院善光寺で別名「元善光寺」。もともとは現在より少し北にある津堂城山古墳の南側に存在しましたが、戦国時代に織田信長の小山城攻めの際に巻き込まれて焼失。
1570年から1580年の10年間に石山本願寺と織田信長が争っていました。この間、河内方面では1573年に東大阪にある若江城の戦い、1575年に羽曳野市において高屋城の戦いが起こっています。
信長の河内侵攻により南河内の神社仏閣の多くが兵乱により荒廃。小山善光寺もこの争いに巻き込まれたのかもしれません。その後、西誉宗珍によって慶長年間(江戸時代初期)に現在地に再建されます。
どういう経緯で分裂したか
・7世紀頃、一光三尊仏という仏像がインドから日本に来た。
・仏教嫌いの物部氏によって難波の運河に捨てられた。
・通りかかった本田善行さんという人が拾った。
・長野に持って帰る途中に藤井寺に住む隆聖法師さんの家に泊まった。
・隆聖法師さんもその仏像が欲しくなった。
・とりあえず二人で三日三晩念仏を唱えると仏像が2体になった。
・隆聖法師さんが1体の仏像を本尊として、藤井寺に小山善光寺を建立した。
・もう1体は本田善行さんが長野に持って帰り信濃善光寺を建立した。
難波から岐阜に帰るなら北上して東海道を通るのが早そうですが、南下したところを見ると竹内街道を経て奈良に入り、伊勢経由で東に向かったのかもしれませんね。当時はこちらのルートが主流だったみたいです。
現在の小山善光寺
藤井寺駅から10分ほど北に向かいます。昭和な雰囲気の中に古民家が混じるレトロな住宅街に小山善光寺はありました。小さなお寺とは聞いていましたが山門は開放感があり、清掃も行き届いて立派な感じです。
山門の先になにかいるな?と思いくぐってみると「鴨」が参道の真ん中でお休み中でした。小山善光寺で飼われているのか人に慣れていて、近くで写真を撮っても逃げませんでした。
山門の先に小さな本堂があります。中にある 一光三尊仏は年に1回(毎年4月24日)しか公開していないので残念ながら見れませんでした。
敷地内には津堂城山古墳の石棺の一部や江戸時代から納められてる写経塔など、小さいながらも随所に歴史を感じさせる物がありました。
夏の盛りとあって草木が生い茂り敷地内は日影が多く、静かで落ちついてゆっくりとみれるお寺でした。
小山善光寺データ
住所 | 藤井寺市小山1-16-39 |
山号 | 南面山 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
開祖 | (伝)本田善光 |
札所 | なし |
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