狭山池にある「 龍神社 」をご存じでしょうか?池の中にあり橋も掛かってないので近づく事もできません。遊泳禁止なので当然、泳いで行く事もできません。
なぜ池の中に神社があるのか調べてみると、そこには大阪狭山市、富田林市、藤井寺市、松原市にまたがる大蛇の恋の物語がありました。今回は大阪狭山市「龍神社」にまつわる恋の物語を紹介したいと思います。
藤井寺市 允恭天皇陵の大蛇との恋
藤井寺の民話によると、藤井寺市土師ノ里近くにある允恭天皇陵にはオスの大蛇が住んでいました。ある日、木こりが御陵から堀に伸びていた木の枝を切っていると…急に木こりは痺れて動けなくなります。
やがて允恭天皇陵の奥から「俺を誰だと思ってるんだ!御陵の主だぞ!なに勝手に木を切ってるんだ!言う事を聞かないと一生祟りがあるぞ!」という声が聞こえてきました。木こりは震えあがり、何でもすると大蛇に約束します。それを聞いた大蛇は毎月1日と15日の2回、ある荷物を狭山池に届けるよう命じます。
後日、荷物を狭山池に届けるため允恭天皇陵に行くと、そこには美青年立っていました。青年は無言で風呂敷に包まれた重たい箱を渡します。荷物はズッシリとした重い箱でした。中身が気になりましたが、絶対中を開けてはいけないと約束されます。
木こりは1日かけて重い箱を狭山池まで持って行くと、そこには見たことのない美女が立っていました。やたら重たい箱を美女の前に置くと、ヒョイと持ち上げ、そのまま池の方へ消えていきました。
そんなやりとりを何年もやらされた木こりは段々とウンザリしてきます。それにやたら重たい箱には何が入っいるかも気になっていました。こんなことを延々とやらされ、嫌なっていた木こりは思い切って箱を開けてしまいます。
すると箱の中から大量のカエルがピョ~ンと飛び出してきました!允恭天皇陵の大蛇は狭山池の大蛇にカエルをプレゼントしていたのです。
中身を開けてからは允恭天皇陵に行っても二度と美青年が出てくることはありませんでした。どうやら允恭天皇陵の大蛇と狭山池の大蛇の恋は終わってしまったようで、木こりは申し訳なく感じました。
しかし、恋を終わらす原因となった木こりは大蛇のたたりか、なにをやってもうまく行かない人生を送ったそうです。
出典 藤井寺むかしばなし「やっつけられた たかたか坊主」中野千代
富田林市 栗ヶ池の大蛇との結婚
允恭天皇陵の大蛇との恋が終わった後の話かわかりませんが、狭山池に住むメスの大蛇は富田林の栗ケ池に住む大蛇と結婚します。狭山池の大蛇は夫が住む栗ケ池へ毎晩通っていました。そうなると通り道にある田畑は荒れ、人や牛は飲み込れるなど、みな困り果てていました。
村の若者からは退治しようという話も出ましたが、祟りがあってはたまらないと長老たちは若者たちをなだめます。どうすればいいか話し合った結果、栗ケ池のオス大蛇を狭山池に迎え入れて一緒に暮らしてもらいうとなりました。
そこで人々は狭山池に祠を建ててオスの大蛇を狭山池に導きました。その後も祠に供物をささげ祭祀を絶やさないことで、田畑が荒れることはなくなったそうです。
松原市 結婚後の生活
実は結婚後の話もありまして、これはなぜか松原市の民話に残っています。ある日のこと、松原市の河合に住む男の枕元に美男美女の二人が座り、寝ている男を起こします。目を覚ますと美男美女は男に頼みごとを伝えます。その頼み事とは
「狭山の村人のおかげで富田林の大蛇と結婚して幸せに過ごしているが、池の中の生活だけでは息苦しい。少し遠くまで遊びに行きたいので、狭山池から北に伸びている河合の西除川沿いに祠を建ててほしい。そうすると大和川まで一気に泳いで体を延ばせます。夜中に楽しむので周りには迷惑をかけません。」
という事でした。目が覚めた後、男はあれは夢か現実か判断できず祠を建てるか悩んでいました。そんなある日、男が井戸から水を汲むと、その中からお金が出てきたのです。あれは現実だったと確信した男は祠を建てると決断します。ただ、男はどこに祠を建てたのか話さなかったため、いまでもその祠がどこにあるのかわからないそうです。
出典 まつばらの民話をたずねてへようこそ「第4話 西除川と狭山池の大蛇」
龍神淵
4市にまたがる大蛇の恋の物語がきっかけとなり狭山池には祠が建てられました。祠は何度か移動や建替えを経て現在の龍神社のスタイルになりました。
現在の龍神社になるまでに、少し面白いエピソードがあります。狭山池はかつて毎年8月に水を抜いて干していたそうです。干している間、龍たちは堤から西除に水が落ちる際にできた窪みに移り、水がたまると池に戻っていたそうで、その一時避難所の窪みは「龍神淵」と呼ばれていました。
1858年の狭山池の改修の際、龍神淵が埋められることになりましが、作業中にケガ人が出て龍神の祟りという話になります。
その結果、別の場所に龍神淵のような窪みを新たに掘られました。その窪みの後ろには祠が建てられて、現在みられる龍神社の姿になったようです。
ちなみに平成に入った1996年の工事で、この窪みの底に陶器の壺が発見されました。その中にはご神体が入っていたという事です。どんなご神体だったんでしょうね?
まとめ
最初に龍神社を見た時は「池の中にある神社とは珍しいな~」ぐらいにしか思っていませんでした。後日狭山池を訪れた時、水がすっかり引いていて、龍神社の前にぽっかりと大きな穴があるのを見てこれはいったい何なんだろうかと興味を持ちました。そんな理由で調べてみると大蛇に関するお話が4市にわたって出てくるのでちょっと驚きました。マップにしてみるとこんな感じです。
狭山池の龍神社を訪れた際は、あの祠には大蛇の夫婦が仲良く祀られているのだなと想像しながらお参りしてみるのもいいかもしれませんね。
狭山池 龍神社データ
神社名 | 龍神社 |
住所 | 大阪府大阪狭山市岩室2439-1 |
祭神 | 水波能売命、天水分神、国水分神 |
旧社格 | 不明 |
式内社 | なし |
祭礼 | なし |
参考資料 |