南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様シリーズ」。今回は富田林市大字嬉(うれし)にある「腰神神社(こしがみじんじゃ)」です。腰神神社は、その名前の通り腰痛など「腰にご利益」がある神社として知られています。このご利益には、鎌倉時代末期に活躍した武将「楠木正成」が関係しています。楠木正成と腰神神社にはどのような関係があるのか?今回は富田林市嬉に存在する「腰神神社」を紹介します。
腰神神社とは
腰神神社では、山腹の巨石、箕島宿禰、八大龍王、猿田彦尊、国光大明神を祭っており、「腰神さん」と呼ばれ地元では親しまれています。社伝によれば「嬉の北方に小森林があり、大盤石を御神体とし、これを腰神とする」とあります。
腰神神社の創建は、大化改新の頃とされています。645年頃「箕島宿禰(みのしまのすくね)」が文武の師範として、河内国へ来たことが由来。箕島宿禰は、紀伊国を本拠地とする豪族で、大和国桜井の豪族の娘「玉藻姫(たまもひめ)」を側室としていました。箕島宿禰は、紀伊国から紀伊見峠を越え、河内国の嬉村を本拠地としました。
その後、河内国にて文武を広めた箕島宿禰は、功績により嬉村の腰神神社に祭られたと伝わっています。箕島宿禰については、あまり情報がない人物で、平安時代に編纂された古代氏族名鑑「新撰姓氏録」にも記載がありません。
紀伊国が本拠地ということで、関連する場所を探してみると和歌山県有田市に「箕島」という地名が存在しました。ただ、箕島宿禰に関する伝承はないようです。紀伊国の豪族が大和国の豪族の娘を側室にし、河内国へ本拠地をうつしたのは、どのような経緯があったのか興味深いところです。
楠木正成と腰のご利益
腰神神社は、富田林市内で最も標高の高い「金胎寺山(こんたいじざん)」の麓に存在します。社伝によると1332年、楠木正成はこの山に「金胎寺城」を築城しました。金胎寺城は正成が築いた「楠木七城」の一つ。
金胎寺城は楠木七城の中でも、隣接する嶽山城とともに重要拠点でした。現在はわずかに遺構を残すのみとなっています。
以前は、金胎寺山山頂への道は荒れていたようですが、近年に地元の片達により道が整備。最近は、金胎寺山ハイキングを楽しむ人が増えているそうです。腰神神社のご利益は、楠木正成に由来しています。社伝によると、後醍醐天皇による鎌倉幕府討伐の際、楠木正成は観心寺から出陣しますが、愛馬「千早丸」の腰が立たなくなりました。
仕方なく腰神神社の藤の木に馬を繋ぎ、岩山の御神体に祈ると、千早丸の腰が完治。愛馬が治ると正成は、神社に勝利を祈願し無事出陣できました。倒幕に貢献した楠木正成は、河内国守護の地位に就くことになります。
後に楠木正成は、腰神神社に嬉村城山の守神とし、1寸8分の黄金毘沙門天像と菊水の御紋を与えたとのこと。このご利益から、腰痛に霊験あらたかな神様として参拝する人が増えることに。その後、神社には絵馬がかけられるようになり、名のある武将も多く参拝したと言われています。
現在の腰神神社
嬉地区は、東は金胎寺山、石川対岸と南部は河内長野市に隣接。南へ行くほど石川と金胎寺山の距離が近く、土地は狭くなっていきます。近鉄長野線汐ノ宮駅周辺は住宅街ですが、石川にかかる千代田橋を越えて富田林市に入ると、田畑が増えてきます。
戦前には千代田橋の付近に汐ノ宮温泉が存在。温泉客は腰神神社に参拝して、温泉で腰の病を癒やしたそうです。正面にそびえるのは金胎寺山。石川が天然の掘の役目を果たすため、金胎寺城は守りやすく攻めにくい城だったと思われます。山の名前である「金胎寺」と言うお寺は、山麓に存在していましたが現在は廃寺となっています。
田んぼ、住宅地、工場などが並ぶ細い道を進むと「腰神神社」の看板が見えてきます。腰神神社は、富田林市内では珍しい神社庁に属さない単立の神社とのこと。
腰神神社の案内板。比較的新しい案内板で、創建やご利益について詳しく記されています。
正面に建つ鳥居をくぐり、右側にある手水舎。無人神社の手水舎は、使われていないところもありますが、こちらはタオルも置かれているなど利用されているようです。
階段上に狛犬と絵馬堂が存在。明治時代まで存在した汐ノ宮神社が春日神社に合祀された際、鳥居と狛犬が腰神神社へ移されたとのこと。
腰神神社は、無人の神社ですが、参拝者向けに色々と置かれています。こちらは腰神神社の紹介パンフレット。
小さな神社は、案内板もなく沿革がわからないところも多いですが、珍しくパンフレットまで置いています。
隣にある腰神神社のお守り。腰痛、病気、学問にご利益があるようです。
その隣には絵馬も売られています。やはり、腰痛の悩みを書かれる人が多いのでしょうか?無人の神社なので、お守りも絵馬もお代は賽銭箱へいれる仕組みです。
絵馬堂という名前の通り、境内には腰痛平癒祈願の絵馬が多くかけられています。他にも絵馬堂の正面には、寄贈された絵馬が、飾られています。
絵馬堂の裏手に見える巨石の一部。これが本尊である大盤石の一部でしょうか?神道にはこうした自然崇拝が含まれるのも魅力の一つです。
絵馬堂の横にある樹齢約700年の藤の木。腰を痛めた楠木正成の愛馬が、藤の木に馬をつなぐと腰が治ったと伝わります。老木ですが、開花シーズンには美しい花を咲かせるとのこと。
この藤の木には、室町時代の水墨画家「雪舟(せっしゅう)」がこの地を訪れた際に歌った句が残されています。「道ばたにうつ蒼たるや藤の森」と雪舟は歌っており、室町時代でも有名な藤の木であったとわかります。楠木正成や雪舟など、歴史的な人物がサラッと出てくるとは、なかなか侮れません。
境内はそれ程広くありませんが、様々なものが置かれています。
こちらは宝篋印塔。特に解説はなく、どのような経緯で存在するかはわかりません。
こちらは、村人が力試しに使ったという「力石」。江戸時代から明治時代にかけては、力石で盛んに力試しが行われていました。現在ではこうした風習は廃れて、神社に置かれたのでしょう。
南河内にはいくつかの力石が残されていますが、重さの解説付きで置いている所は珍しいかもしれません。
赤い鳥居のこちらの神社は、腰神神社の祭神の1柱「国光大明神」。どうやら、稲荷社のようです。
国光大明神の隣には、水が湧き出るという岩の割れ目があります。パンフレットによれば、飲めば持病が治る聖水として、近年でも数多くの人が訪れるとのこと。残念ながら、境内には私しかいませんが…
巨石を祭っているのと関係があるか分かりませんが、境内にはいくつかの石が祭られています。
こちらは大きな石が2つ祭られており、左の石には「八大竜王」と彫られています。パンフレットには「大石の神々」と紹介。こちらも腰神神社の祭神の1柱。そういえば、猿田彦尊はどこに祭られているのでしょうか…
決して広い境内ではありませんが「腰にご利益」「巨石の御神体」「謎の豪族、箕島宿禰」「楠木正成ゆかりの神社」「藤の木と雪舟」など、謎とロマンがギュッと詰まった腰神神社でした。
腰神神社データ
神社名 | 腰神神社 |
住所 | 大阪府富田林市大字嬉60付近 |
祭神 | 箕島宿禰 |
摂社 | 国光大明神、猿田彦尊、八大竜王 |
旧社格 | 不明 |
式内社 | なし |
祭礼 | |
参考資料 | ・富田林市ホームページ ・腰神神社案内板 ・パンフレット |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
最寄りは近鉄長野線「汐ノ宮駅」。駅のすぐ西に、名称の無い交差点があります。この交差点を東に曲がり直進。石川を渡ると、つきあたりにぶつかるので南へ直進します。道が徐々に狭くなりますが、さらに進むと小さく「腰神神社」の看板が見えます。
・自動車
腰神神社には数台停められる駐車場が存在します。腰神神社の看板を少し過ぎると左に腰神神社の駐車場が見えてきます。
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