桜餅などの材料に使われている道明寺粉。その名の通り藤井寺市にある「道明寺」が名前の由来となっています。
ちなみに「道明寺」と言っても、藤井寺市にはお寺である「蓮土山 道明寺」と神社である「道明寺天満宮」があります。
知らない人が「道明寺はどこですか?」と質問すると「お寺ですか?天満宮ですか?」と聞き返され「?」という事もあるとかないとか。まあ、お互い隣同士なんですが…
道明寺粉が関係するのは、お寺である「蓮土山 道明寺」の方になります。以前から道明寺粉って変わった名前だなと思っており、少し道明寺と道明寺粉の関係について調べてみました。
道明寺の沿革
かつて道明寺周辺は土師氏が治めていました。土師氏は古墳時代に技術者集団として、古墳の造営などに関わったと言われています。道明寺の詳しい創建時期は不明ですが、土師連八嶋治が自宅を寄付し、氏神である天穂日命祀るために土師寺を建立した事が起源とされています。
創建時の土師寺は金堂や五重塔などをもつ大規模な寺院で、道明寺天満宮の南側には五重塔の礎石が名残として残っています。
その後、土師氏は幾つかの一族に分かれ、末裔には有名な菅原道真がいます。土師寺は菅原氏の先祖が創建した関係もあり道真もゆかりがあるお寺です。
道真は宇多天皇の時代に大きな信頼を得て要職につきます。宇多天皇亡き後も重用され、899年には右大臣に昇進。しかし、破格の昇進により権力闘争に巻き込まれ、無実の罪で太宰府に左遷されてしまいます。
当時の道明寺は尼寺で、菅原道真の叔母である覚寿尼が住んでいました。九州へ左遷される際に土師寺に寄ることを許された道真は、道明寺の覚寿尼に自身の像を彫って渡します。
947年には遺品を宝物として本堂に安置し、土師寺から道明寺と名を改めます。
戦国時代に入ると道明寺も周辺の寺社と同じく戦乱に巻き込まれます。道明寺の寺伝によれば1573年の遊佐氏の反乱で伽藍の焼失とあります。
1573年は南河内を拠点とする畠山家の重臣、遊佐信教がクーデターを起こした年です。遊佐信教は主君である畠山昭高を自害に追い込み道明寺の数キロ南にある高屋城を占領します。しかし道明寺天満宮の社伝によれば1575年に起こった織田信長と三好&遊佐連合軍による高屋城の戦いで建物を焼失したとあります。
当時の道明寺天満宮と道明寺は隣接していたことから、1573年か1575年のどちらかで兵火にあったと考えられます。
戦いが収まったあと、兵火での焼失や石川の洪水などの影響で元の場所ではなく、道明寺天満宮内に再建を果たします。再建には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などからも支援があったようです。
明治に入ると神仏分離令が発令され、1872年に道明寺と道明寺天満宮は分離し、現在の場所に分かれます。
道明寺粉の誕生
道明寺粉とはザックリ言うともち米を蒸し、それを天日で乾燥させ石うすで粉にしたものです。道明寺粉は保存食としてとても優れており、戦いの際には携行食として非常に重宝されたそうです。
そんな道明寺粉ですが、調べていると道明寺粉の誕生に二つ説があることがわかりましたので紹介します。
道明寺の覚寿尼説
道明寺の寺伝によれば、道明寺粉(お寺では「道明寺糒(ほしいい)」と呼ぶ)の誕生は菅原道真に関わりがあります。
菅原道真が九州に左遷された後、叔母の覚寿尼は毎日九州に向かってお供えをしていました。そのお供えものの「お下がり」を人々に分け与えていたところ、病気が治るとの評判がでて、希望者が増えてきました。
あまりにも増えた希望者に対応するため、あらかじめ乾燥させて貯蔵できるようにした事が道明寺粉の起源としています。
乾飯根の命説
藤井寺市民話集「やっつけられた たかたか坊主」には道明寺粉の起源に関するお話があります。
昔、土師ノ里(道明寺周辺)に乾飯根の命(ほしいいねのみこと)という女性が住んでいました。乾飯根の命は村の人達が食べ残した米粒を捨てているのを常々もったいないと思っており、一つのアイデアを試してみました。
捨てられた米粒を拾い集め天日に干してカラカラした後、しばらく保管してみると痛んでいない事がわかりました。そのカラカラになった米粒を再び蒸してみると非常に美味しい事を発見します。
早速、村人達に教えると皆米粒が残っても捨てることなく、乾燥させて残すようになりました。後にお米をつくときに砕けた細米を炊いて乾燥させた物を、乾飯根の命の名前から「乾飯(糒)ほしいい」と名付けて商売する者がでたというお話です。
どちらが正しいのかは今となっては分かりませんが、いずれにせよ道明寺が発祥である事に違いはないようです。
道明寺にて販売されている道明寺粉の包装には「ほしいひ」という文字が書かれています。これは豊臣秀吉が書いた文字だそうで、当時の道明寺粉の貴重さが伺えます。江戸時代には朝廷や将軍に献上するほど価値が高く、その他の大名も少量しか手に入れることはできなかったそうです。
道明寺の見所
道明寺には藤井寺市にある二つのうちの国宝のうち一つが収められている他、いくつかの見どころを紹介します。
国宝 木造十一面観音菩薩立像
道明寺のには、一本造りで彫られた国宝「木造十一面観音菩薩立像」があります。年代、作者不明の謎多き像で、毎月18日と25日に拝観できます。また「木造十一面観音菩薩立像」以外にも重要文化財である「試みの観音」や「聖徳太子立像」なども見所の一つです。
多宝塔と英文慰霊碑
この多宝塔は1918年、藤沢友吉が父の十七回忌に、道明寺本堂落成を記念して建てられたものです。藤沢友吉は藤沢薬品工業の初代社長で、藤沢薬品工業は現在、山ノ内製薬と合併してアステラス製薬となっています。
多宝塔の前には第一次世界大戦の戦没将士英文慰霊碑があります。この慰霊碑にはこの多宝塔が第一次世界大戦で亡くなった兵士達の冥福を祈る為に建てたと英文で記しています。
慰霊碑の下にはあるものが埋められています。それは第一次世界大戦において「ヴェルダンの戦い」があった場所の土で、ヴェルダンの市長から寄贈されたそうです。ヴェルダンの戦いでは、フランス、ドイツ両軍合わせて70万人とも言われる死傷者でる大激戦と言われています。
境内風景
まとめ
道明寺のすぐ横には藤井寺市で有名なパン屋さん「coccoya」、ランチで人気の「玄米食堂 すみれ」があり、最近は賑わいを見せています。
近隣には「白光龍王大神」の祠や「道明寺天満宮」。古墳は允恭天皇陵、仲津姫命陵などの観光スポットが多いので、合わせてブラブラと散策しながら歴史を感じてみるのもいいかもしれませんね。
御朱印
蓮土山 道明寺データ
山号:蓮土山
宗派:真言宗御室派
本尊:木造十一面観音菩薩立像
開祖:土師氏
札所:尼寺三十六箇所23番
聖徳太子霊跡3番
河内飛鳥古社寺5番
住所:大阪府藤井寺市道明寺1-14-31
駐車場:あり
アクセス:近鉄南大阪線「土師ノ里」もしくは「道明寺」徒歩7分
西名阪道藤井寺ICから10分
URL:http://www.domyoji.jp/index.html