百舌古市古墳群をご存知でしょうか?世界遺産に推薦している古墳群の事で、堺市に21基、羽曳野市に10基、藤井寺市に16基あります。
さかのぼること2017年8月。諸般の事情で藤井寺市にある百舌古市古墳群16基を自転車で巡る事につき合って欲しいと頼まれる事に。しかも半日で…
熱中症が心配でしたが、藤井寺市は大阪府で一番小さい市なので自転車なら半日あれば大丈夫だろう…
軽く引き受けましたが、それは甘い考えだったと後で後悔することに…
ちなみに歴史は大好きなのですが古墳時代はテリトリー外なので、古墳については一般人レベルの知識しかありません。
この記事でも専門的な解説はありませんが、素人が予備知識なしにいかに古墳を楽しめるかという視点回ってみました。(回った後に記事を書くため少し調べましたが…)
今回は藤井寺市にある百舌鳥古市古墳群16基を半日巡る強行ツアーを紹介いたします。
01 鉢塚古墳(はちづかこふん)
まずは鉢塚古墳からスタート。藤井寺駅から徒歩10分駅ぐらいの場所にある古墳です。
賃貸物件で徒歩10分ならまあまあな物件だと思いますが、古墳なので駅近のメリットは特にありません。
住宅地のど真ん中にあるため、古墳に接近しても家や幼稚園に囲まれていて古墳が見えているのに近づけないというジレンマ。
南河内では普通のことなんですが、家の隣が古墳というのは一般的にはあまりないですよね・・・
グルグル回っているうちに古墳に通じる道を発見。ここで手間取ったために思ったより時間を浪費してしまいました。
金網と生け垣で囲まれており、古墳に入れそうな隙間がわずかに存在します。入っていいのか一瞬悩みますが、ここは近所の保育園の遊び場になっていると聞いているので大丈夫なはずです。
前方後円墳という事で確かによく見るとクビレがあり、前の方が丸く盛り上がっている気がします。
登ってみると確かに前側が後ろ側よりも盛り上がっており前方後円墳であることがわかります。一説には近くにある仲哀天皇の陪塚ともいれています。※注1
ここでいきなり金印とかを発見したらテンションも上がるのですが、ハニワの欠片も見つかりませんでした。
※注1陪塚とは大型の古墳に付随した小さな古墳。中心となる大型古墳の親族、臣下、副葬品などが埋葬されている。
墳 形:前方後円墳
全 長:60m
埋 葬 者:不明
古墳内立入:可
02 仲哀天皇陵古墳(ちゅうあいてんのうりょうこふん)
仲哀天皇陵は鉢塚古墳から自転車で5分ほどの場所にあります。途中、「修羅」をモチーフにした公共施設「アイセルシュラホール」の横を通ります。これを作るのは大変だったでしょうね・・・
仲哀天皇陵はその名の通り仲哀天皇のお墓です。仲哀天皇の家族関係を少し紹介しますと
父・・・日本武尊(ヤマトタケル)
言わずと知れた古代のヒーロー。九州から関東にかけて敵対勢力を討伐するものの、帰国途中に病没。御陵は羽曳野市にあります。
妻・・・神功皇后(じんぐうこうごう)
夫の没後、応神天皇を身ごもりながら兵を率いて朝鮮半島に渡り新羅、高句麗、百済を従わせたという女傑。
息子・・・応神天皇
女傑神功皇后の息子という事でいつの間にか戦いの神様である八幡神という事になります。御陵は百舌古市古墳群で2番目に大きい誉田御廟山古墳。
こんな華麗な家族に囲まれている仲哀天皇ですが、仲哀天皇自身には恐ろしいほどエピソードがありません。その人生を一行で表すと「神様からのお告げをシカトして祟り殺された」です。
エピソードは残念な話なんですが、古墳は個人的には藤井寺市で一番美しい古墳だと思っています。
仲哀天皇陵の周囲は柵で囲まれていますが、遙拝所周辺には柵がありません。他の古墳は住宅密集地にあり、全体を把握しにくいケースが多数存在します。
しかし仲哀天皇陵は少し余裕を持って周りが整備されています。視界を遮るものがなく全景を楽しめるのが素晴らしいですね。
堀には豊かな水をたたえ、柵がなく、目線と水平に古墳を見ることができるのは仲哀天皇陵ぐらいではないでしょうか。
ちなみに戦国時代には砦に改造されていたそうです。
別 名:岡ミサンザイ古墳
墳 形:前方後円墳
全 長:245m
埋 葬 者:仲哀天皇
古墳内立入:不可
備 考:全国第16位