南河内の神社を紹介する「となりの鎮守様」シリーズ。今回は、藤井寺市津堂にある「津堂八幡神社(つどうはちまんじんじゃ)」です。実は、戦国時代に近畿一円で活躍した「三好康長」が祈願所として勧請したとも伝わる神社。
三好家の重鎮である三好康長は、最後まで織田信長に抵抗した武将として知られています。なぜ三好康長は、この地に津堂八幡神社を勧請したのか?今回は、藤井寺市津堂にある「津堂八幡神社」を紹介します。
津堂八幡神社の創建
津堂八幡神社の建つ津堂地区は、藤井寺市の北部に位置します。津堂の地名は、大和の都から住吉の津(港)に通じることが由来とのこと。ただ一説には、6世紀~7世紀にかけてこの一帯を本拠地とした「津氏」が関係するとの説もあります。
津堂八幡神社の詳しい創建についてはハッキリしていませんが、2つの説があります。1つ目の説として、羽曳野市にある「誉田八幡宮」から八幡神を勧請した説。江戸時代初期に周辺の古室、沢田、土師ノ里地区では、誉田八幡宮から八幡神を勧請しています。津堂村も同時期に、誉田八幡宮から八幡神を勧請したともいわれています。
文化財シリーズ「第11集・藤井寺市の神社」にも「社名から推測すると、誉田八幡宮から勧請したのであろう」と記されています。
2つ目の説は、松原市にある「深居神社」から八幡神を勧請したとの説。八幡神を祭る深居神社は、津堂村、若林村、大堀村、小川村、川辺村の氏神でした。
しかし深居神社は、鎌倉時代末期に起きた動乱により焼失。そのため各村は、深居神社から八幡神を勧請し、若林神社、大堀八幡神社などを創建しています。
津堂村も同時期に、深居神社から八幡神を勧請したともいわれています。もともと津堂八幡神社は、現在地とは異なる場所に建てられていました。現在の藤井寺高校の周辺には「宮前」「宮東」「祢宜ヶ内」などの小字名が残っており、津堂3丁目から4丁目あたりに存在していたと考えられています。
三好康長と津堂八幡神社
深居神社から八幡神を勧請した説では、1566年(永禄9年)、三好康長が祈願所として勧請したとも伝わっています。三好康長は近畿の覇者「三好長慶」の叔父で、三好家の重鎮。当時は羽曳野市にある「高屋城」を拠点とし、南河内に強い影響力を有していました。
晩年の三好長慶は、有力な身内を相次いで失っており、家中をまとめる人物がいませんでした。1564年に三好長慶が死去すると、三好家では家臣同士で争い、河内国は大きく乱れていきます。
長慶の跡を継いだ三好義継はまだ若く、家臣の対立をまとめきれませでした。やがて三好家は、三好三人衆と松永久秀が対立。そんな中、三好康長は両者の間でうまく立ち回り、独自の勢力を維持します。
津堂八幡神社の建つ津堂城山古墳には「小山城」という城が築かれていました。小山城は交通の要衝にあり、南河内の玄関口を監視する役割を果たしていました。
三好康長は、重要拠点である小山城の鎮守として、現在の藤井寺高校周辺に八幡神社を勧請したようです。
その後の三好康長は、近畿に勢力を伸ばしてきた織田信長と対立。1575年には、織田信長自らが軍を率いて南河内に侵攻します。その際に小山城は落城、津堂八幡神社も焼失しました。三好康長は、高屋城に籠城するも包囲に耐えかねて降伏。南河内は信長の支配下に入ります。
その後の津堂八幡神社
のちに津堂八幡神社は再建されたようですが、1716年(享保元年)の大和川氾濫により社殿が崩壊。江戸時代初期に大和川が付け替えられて以降、津堂地区は、度重なる川の氾濫にみまわれていました。
その状況を知った幕府は、1720年(享保5年)に津堂村を移転。その際、津堂八幡神社も移転し現在の場所で再建されています。1909年(明治42年)に政府の神社合祀政策で、隣接する小山村の「産土神社」に合祀。1948年(昭和23年)に、現在地に復社し、今に至ります。
津堂八幡神社へ行ってきました
津堂八幡神社は、津堂城山古墳の後円部に存在します。津堂城山古墳は、自由に入られる巨大前方後円墳。ただし後円部の上部だけ、宮内庁により陵墓参考地に指定されており、中に入られません。
津堂城山古墳の北側には、史跡城山古墳ガイダンス棟「まほらしろやま」が存在します。
ここには、津堂城山古墳から出土した「長持形石棺」をはじめ、古墳に利用された石材をみることができます。こちらには、津堂城山古墳の石室に使われた天井石が並べられています。使用されていた7枚の天井石のうち、2枚が津堂八幡神社の神社跡の碑として使用されていました。
津堂八幡神社は、1907年(明治40年)に産土神社に合祀されています。神社跡と彫られているので、合祀後に建てられたと思われます。まほらしろやまから、少し南に歩いたところに津堂八幡神社が存在します。
かつては古墳の濠だった場所は、既に埋没し参道となっています。細い参道の先にそびえる巨大前方が、迫力を感じさせます。
一段上がった場所にある、比較的新しい社名碑。神社跡の石碑を文化財として市に提供したため新しく建てられたもの。裏側には津堂八幡神社の略歴も記載されています。
こちらはかなり詳細に記載された神社の案内板。この規模の神社で、ここまで詳しく書かれた案内板を設置しているのは珍しいですね。
鳥居をくぐってすぐ右側にある水盤。とくに使用されている感じはありません。
神社は、古墳に建てられているので、徐々に上がっていきます。階段を上りきると4基の灯篭と1対の狛犬が置かれています。狛犬の左側には、百度石も置かれていました。
境内の右奥に「津堂稲荷社」が存在。鳥居の扁額には「白王大神・大玉大膳・眼力大神」という神様の名前が書かれています。
伏見稲荷神社にも眼力大神が摂社で祭られており、伏見稲荷神社とつながりがあるのかもしれません。ちなみに社殿には、稲荷神の主祭神とされる「稲倉魂命(うかのみたま)」と書かれた札も掲げられています。
こちらが津堂八幡神社の拝殿になります。拝殿の前にも1対の狛犬が配置しており、かなり近い距離に2組の狛犬がいることになります。
曜日によっては拝殿が開いており、中の様子を見ることができます。
まとめ
今回は藤井寺市津堂にある「津堂八幡神社」を紹介しました。かつて三好康長が戦いの祈願所として建てられた津堂八幡神社も、現在では津堂地区の氏神として地域の平和を見守っているようです。
津堂八幡神社データ
神社名 | 津堂八幡神社 |
住所 | 大阪府藤井寺市津堂44 |
祭神 | 品陀別命(応神天皇) |
摂社 | 津堂稲荷社 |
旧社格 | 村社 |
式内社 | なし |
祭礼 | 10月 |
参考資料 | ・案内板 ・文化財シリーズ「第11集・藤井寺市の神社」 |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄南大阪線「藤井寺駅」下車。北側ロータリーより発車している近鉄バス「近鉄八尾駅」方面のバスに乗ります。「小山停留所」で下車し、西へ徒歩5分。
・自動車
津堂八幡神社に駐車場はありません。徒歩5分ほどの場所に、ふじみ緑地の駐車場があるので、ここから徒歩がオススメです。
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