南河内の古墳を紹介する「ぶら古墳シリーズ」。今回は、富田林市小金台にある「樟木谷古墳(くすのきだにこふん)」です。樟木谷古墳は、小金平古墳群に属する古墳一つで、自然の姿を残す唯一の古墳としても知られています。
小金平古墳群の中で生き残った古墳は、どのような歴史を持つのか?今回は、富田林市小金台にある「樟木谷古墳」を紹介します。
樟木谷古墳とは
樟木谷古墳は、富田林市の中央を南北に横たわる羽曳野丘陵に存在。場所的には、すばるホールとPLの塔の中間地点ほどに位置します。
樟木谷古墳が属する小金平古墳群は、東に張り出した尾根に築造され「小金平古墳」「宮林古墳」「樟木谷古墳」「葉面山古墳」「クロイケ古墳」の5基により構成。開発により葉面山古墳、クロイケ古墳、宮林古墳は消滅。小金平古墳は、石室のみ公園に移設保存されています。樟木谷古墳は、小金平古墳内で自然の姿で残された唯一の古墳となります。
ただ、現在の樟木谷古墳も損傷が激しく、本来の姿から大きく変わっています。そのため、樟木谷古墳について不明な点も多く、規模も1辺29mの方墳と推察されていますがハッキリとは分かっていません。
近年発掘調査が行われていますが、埴輪や葺石などは見つかっていません。また、墳頂の調査においても埋葬施設は見つかっていません。そのため古墳ではないという説もありますが、隣接した宮林古墳の調査でも埴輪や葺石が見つかっていません。樟木谷古墳とが宮林古墳と同類ならば、古墳である可能性も高いようです。
樟木谷古墳の築造時期も不明ですが、宮林古墳との類似点から4世紀後半頃に築造されたと推察されています。被葬者については地元の有力者の墓と考えられています。樟木谷古墳の東側には「新家遺跡」「甲田遺跡」など、弥生時代~中世にかけて古くから人々が暮らしていました。
樟木谷古墳は、これらの遺跡を見下ろすように存在することから、樟木谷古墳も一帯を支配した有力者の墓とも考えられます。隣接する宮林古墳の埋葬施設からは、鉄の鏃(やじり)が見つかっていますが、銅鏡などのはなく、質素な副葬品でした。規模からみても、ヤマト王権とのつながりは薄かったと考えられています。
樟木谷古墳に行ってみました
今回は、エコール・ロゼで買い物したついでに樟木谷古墳へ寄ってみました。エコール・ロゼの駐車場から樟木谷古墳まで、徒歩で約10分。住宅地をブラブラと歩いて向かいます。樟木谷古墳が存在する場所は、この辺りで一番高い場所にあり、少し坂を登る必要があります。以前、すばるホールの駐車場から、小金平古墳を訪問した際もかなりキツい坂と記憶しています。
坂を登りきったところに、樟木谷古墳は存在しました。むき出しの土がドーンとあり、まさに「THE土塊」。
周囲にはロープが張られており、立入禁止の札があるため、古墳に入ることはできません。たとえ入られたとしても、こんな急斜面では登りませんが…
墳丘の東1/3は平削されて、現在は駐車場となっています。方墳とのことですが、ここだけを見てもまったく分かりません。ちなみに、隣接していた宮林古墳はガッツリと駐車場になっており、跡形もありません。
墳丘南側に古墳に利用されたような石がありますが、資料によると隣接する民家が庭石を設置した際、余った石を置いたとか置いてないとか…。たしかに紛らわしですね。
古墳の西側にあたる場所から、7世紀台の須恵器片が出土しています。このことから築造時期が古墳時代後期の可能性もあるようです。ただ今のところ別の場所から混入した可能性が高いとのこと。
古墳の北西は資材置き場になっており、墳丘の一部が平削されています。この場所からは見えませんが、古墳の北側には柱が建てられていた跡が見つかっています。
古墳の築造時期に柱が建てられていたと考えられていますが、この柱に対となる柱の穴が見つかっていいません。単独で柱が建てられていたようですが、柱の用途は不明。古墳に柱が建てられいた例は少なく、貴重な事例のようです。
すぐ近くに存在した小金平古墳が7世紀の築造であり、隣接する宮林古墳からは奈良時代の火葬墓も見つかっています。この点から樟木谷古墳周辺は、古墳時代前期から長期にわたり祭祀の場所だったようです。ただの土の塊にしか見えない樟木谷古墳ですが、富田林市の過去を語る貴重な史跡なのではないでしょうか。
まとめ
今回は、富田林市甲田にある「樟木谷古墳」を紹介しました。実は樟木谷古墳、開発の計画があり、道路面まで平削される予定だそうです。ただ平成30年に計画されているにもかかわらず、現在もその姿を残していました。いずれ消滅の可能性もありますが、その時は何らかの形で保存されるのを祈るばかりです。
樟木谷古墳データ
古墳名 | 樟木谷古墳 |
住所 | 大阪府富田林市小金台1丁目13 -13 |
墳形 | 方墳(推定) |
一辺 | 29m(推定) |
高さ | 不明 |
築造時期 | 4世紀後半(推定) |
埋葬施設 | 木管直葬(推定) |
被葬者 | 不明 |
参考資料 | ・平成30年度富田林市内遺跡群発掘調査報告書 ・令和元年度富田林市内遺跡群発掘調査報告書 ・中野遺跡・宮林古墳発掘調査概要 |
アクセスと駐車場
・公共交通機関
近鉄長野線「川西駅」または「富田林西口」下車。西方面に歩き大阪外環状170号線を渡ります。西甲田交差点を少し西に進み、右手の住宅地に続く細い道に入ります。道沿いに西に歩くと、西甲田児童公園があり、それを少し過ぎたところに樟木谷古墳が存在します。
・自動車
樟木谷古墳に駐車場はありません。徒歩5分ほどの場所に、すばるホールの有料駐車場があるので、ここから徒歩がオススメです。
周辺スポット
・小金平古墳 ... 続きを見る
樟木谷古墳から徒歩1分ほどの場所に存在する古墳。本来の場所から公園内に移設されたという珍しい古墳。
小金平古墳 | 鉄壁の防御を誇る古墳〜 富田林市〜
・錦織神社 ... 続きを見る
樟木谷古墳から徒歩15分程の場所にある神社。本殿の「錦織造り」は、日光東照宮にも影響を与えたといわれています。
錦織神社 | 日光東照宮のデザインに影響を与えた神社【御朱印 】~ 富田林市~
・PLの塔 ... 続きを見る
樟木谷古墳から車で10分ほどの場所にある塔。PL教団の巨大なシンボルで、正式名称は「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」。
一体誰がデザインを?PLの塔の内部へ入ってきました。
・廿山北古墳 ... 続きを見る
樟木谷古墳から徒歩15分ほどの場所に存在する古墳。公園内に保存された古墳で、間近にその姿を見ることができます。
廿山北古墳|公園内に保存された美しい古墳〜富田林市〜
・廿山古墳&二本松古墳 ... 続きを見る
樟木谷古墳から徒歩15分ほどの場所に存在する古墳。こちらは、道路建設予定地上にありましたが、古墳を保護するためにトンネルを掘って古墳を保護した珍しい古墳です。ただし古墳の中には入ることはできません。
廿山古墳&二本松古墳|まさかな場所にある古墳〜富田林市〜
・新家古墳 ... 続きを見る
樟木谷古墳から徒歩約15分の場所にある古墳。5世紀中頃の築造されたと考えられる古墳ですが、私有地にあるため中に入ることはできません。
新家古墳|住宅街にひっそり残る古墳~富田林市~